<労働運動の激化と東西対立>
[労働運動の激化]
A 国民生活の窮乏(たけのこ生 活)
 物資欠乏(鉱工 業 20%、農業60%)
 復員(350万人)・引揚げ(280万人)→失業増大(1400万人)

・昭和21年12月の東京=防空壕生活29000戸、バラック生活26000戸。 1500世帯は布団、敷物、燃料がなくて冬が越せない。これに対し、占領 軍は高級ホテルを接収して生活していた。
・一日の食糧配給は米2合。これは茶碗3杯くらいである。それも代用にイモ、大豆、豆カスが入っていた。4日に一度イワシが1匹。計1200キロカロリー で戦前の半分だった。最低ラインの時代のインド人は1800キロカロリー。それも遅配で10日遅れだった。
・食べるものがないため、タケノコ生活で闇市で食糧を確保した。統制価格の30〜40倍だがモノはあった。旧軍隊の隠匿物資の放出や軍需物資を生産してい た企業が民需転換したもの。駅西や大曽根にできる。金額ベースで75%の支出は闇物資購入に充てられ、20%はタケノコ生活で農家との物々交換で確保し た。
・買い出しに行くと食料統制法違反。経済警察がいて取り上げられてしまう。
・山口良忠判事は「これは悪法だが、法に携わる者として従う」といって闇物資を拒否し、栄養失調死している。
・昭和20年は異常な凶作。平年作の3分の1。最終的には翌年の収穫まで700万石の米が不足するとされた。餓死者は東京で1日に6人。福岡では2週間で 100人。新聞には「1000万人が餓死する恐れ」と書いた。米軍物資が放出され、パン食、缶詰食が普及した。

 不換紙幣乱発→超インフレ (200 倍)
   cf)金融緊急措置令=旧円流通禁止(預金封鎖)→引 出(新円)制限

・軍需会社に対して戦時補償、復員軍人に手当を出す必要。これで265億を支出してい る。日銀券の発行高は終戦の日が303億円だったものが、1946年 2月には605億円になった。政府は不換紙幣を乱発して経費を賄ったため、 200倍のインフレが起きる。
イン フレの抑制のために預金封鎖をした。新円に切り替えて旧円は流通を禁止し、一度 銀行に預けさせる。1人100円だけ引出を許可し、あとは預金は引き 出せない。その後は世帯主は月に300円、他の家族は100円の引き出しを認めた。600億円の通貨を150億円まで減らすことに成功したが、半年で元に 戻る。

B 平和革命運動の展開(共産党主 導)
   食糧メーデー(1946,5)

・このような生活の窮乏の中、共産党は平和革命を起こし、社会主義体制の実現を目指し た
・食糧メーデーは21年5月19日に起こされ、吉田内閣発足直後に皇居前に25万人集まった。先頭は共産党の徳田球一で、天皇との会見を求め、吉田内閣の 組閣も妨害する。「国体は護持されたぞ、朕はたらふく食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードが掲げられ、不敬罪で捕まっている。
・共産主義革命の可能性があり、マッカーサーは「必要な手段をとる」と警告した。これで革命騒ぎは収まる。

  →解雇反対と賃上げ闘争

・21年7月、企業整備で人員整理と合理化をしないと企業の経営は再建できないとみら れた。民間の範として国鉄7万5千人の解雇を発表する。
・産別は撤回を迫ってゼネストを計画。民間で56万人を結集する「10月争議」をおこない、首切り撤回と大幅賃上げに成功する。
・この頃の争議の中心は公務員だった。21年11月、国鉄、全逓、全教組などの官公労を中心に全官公庁共闘が結成され、156万人が組織された。賃金が民 間の45%であることから越年資金と最低基本給を要求したが無視され、1月のラジオ放送で吉田首相が「労働運動家は不逞の輩」と言ったことから不満が爆発 した。給料3倍の要求を出し、ゼネラルストライキを計画した。

  二・一ゼネス ト(1947,2)
  →吉田内閣退陣要求(600万人参加予定)

・期日は22年2月1日、600万人参加のゼネストが実行されれば社会は大混乱。吉田 内閣打倒と民主人民政府樹立を目指したもので、労働者の力で政権を倒 そうとする平和革命が目指された。

but GHQの 禁止命令(日本の左傾化警戒)

・共産党は、GHQは民主化を進めており、ストを中止しないと甘い判断をしていたが、 マッカーサーは認めなかった。前日、伊井共同闘争委員会議長にGHQ が中止命令を出し、涙のラジオ放送「一歩退却、二歩前進」が流される。

 =賃上げ認め、 吉田内閣総辞職→総選挙へ

・事態を収拾するため、官公労の主張を一部受け入れ、給料を2倍にする。GHQは吉田 に対して総辞職を求め、新憲法のもとで最初の総選挙をすることになっ た。

以後、占領政治の転換図る(急速な民主化への見直し)
cf)政令201号(1948.7、官公庁労働者の争議権奪う)

官公 庁労働者の争議権奪う→次の片山内閣に指令。片山は社会党内閣なので抵抗、芦田内閣で実現した。

[東西対立の激化]
新たな平和維持機 構=国際連合設立(1945.6)
           集団安全保障、国連軍組織、五大国のイニシァチブ

・1945年4月、サンフランシスコで2カ月に及ぶ大会議により、国際連合憲章が採択 される。51カ国が加盟。
・経済制裁しかできなかった国際連盟の反省に立ち、軍事制裁のため、国連憲 章7章で国連軍を組織。
・制裁にあたって全会一致制をとったために小国のスタンドプレーに振り回された国際連盟とは違い、米・英・ソ・中・仏の五大国が安全保障理事会の常任理事 国となって安保理の決定が実質的拘束力を持つようにした。

but 米ソの対立(冷戦)生じる

・しかし、米ソの対立が始まる。第二次大戦後の世界でどちらがイニシァチブを取る かの戦い。1945年9月ロンドン、12月モスクワの米ソ英仏外相会議で すでにきしみが生じていた。
・ソ連は東からドイツファシズムを攻撃。ここに一党独裁政治と中央集権的計画経済を特徴とするソ連型の社会主義を押付けた。
・1946年3月5日、チャーチル元首相がアメリカのフルトンで演説。「バルト海のステッチンからアドリア海のトリエステまで、鉄のカーテンが張りめぐら されている」。アングロサクソンは団結してソ連と国際共産主義に対抗すべ き。

A ヨーロッパ
トルーマン・ドク トリン   ×    コミンフォルム結成(1947.10)
(共産主義封じ込め)(1947.3)
マーシャルプラン      ×    コメコン
(西欧への経済軍事援助)(1947.6)  (東欧との経済協力)(1949)

1947 年3月、トルーマン・ドクトリンが出される。ドイツの管理をめぐって米英仏ソの外相会談が決裂したことを受け、東地中海方面への共産主義勢 力の 進出をイギリスに代わってアメリカが「封じ込め」るとした。共産主義ゲリラに悩むギリシアとトルコに4億ドルの援助をした。
・アメリカは伝統的には孤立主義をとっていたが、このトルーマン・ドクトリンによって資本主義世界の盟主としてヨーロッパに介入することを宣言した。
・6月になると、アメリカの援助によるヨーロッパ復興計画であるマーシャル プランを発表。西欧に欧州経済協力機構を作り、3〜4年間に480億ドルをつぎ 込む。自由陣営の強化。
・これにソ連は対抗する。10月にコミンフォルム(国際共産党情報機関)を 組織した。戦前のコミンテルンの復活だが、1943年に解体されたコミンテルン とは違い、上からの指導ではなく情報交換組織とされた。実質的には復活だった。

  cf)ベルリ ン封鎖(1948)→東西ドイツ分割(1949)

・対立がピークになったのはベルリン封鎖事件。米英仏管理の西ベルリンは東ドイツ領内に残されてい た。東ドイツ領内を通って西ドイツから物資補給をしてい た。
・1948年6月から1年間、ソ連は道路・鉄道を封鎖。アメリカは空輸によって西ベルリンを確保。27万7千回の飛行回数。物資の67%は石炭。
1949年9月に西ドイツ、10月に東ドイツが独立。

NATO(1949)     ×    ワルシャワ条約機構(1955)

1949 年4月、NATOが作られる。集団安全保障の名の下に米、カナダ、西欧諸国が軍事同盟。米軍将官を総司令官とするNATO軍を組織した。 12カ 国(米英仏伊蘭、ベルギー、ルクセンブルグ、カナダ、ノルウェー、デンマーク、ポルトガル、アイスランド)。1955年に西ドイツも加盟。
ソ連は対抗して1955年5月、ワルシャワ条約機構を作る。 ソ連、東欧諸国で結成。ソ連人を総司令官とするWTO軍を編制する。8カ国(ソ連、ポーラン ド、チャコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、東ドイツ)

B 朝鮮
米ソ分割占領

・日本降伏時、アメリカは38度線で北はソ連、南はアメリカが日本軍の武装解除をする こととする。ソウルをアメリカ統治下におくねらい。ソ連は日本占領に 割り込む魂胆で、これを認める。
・建国準備委員会ができ、朝鮮人民共和国の樹立宣言。アメリカは背後に共産党がいるとして解体させ、軍制を布いて李承晩をトップとする大韓民国代表民主議 院を作る。北ではソ連が金日成を連れてきて北朝鮮臨時人民委員会ができる。

韓国(李承晩)、北朝鮮(金日成)(1948)

南は 選挙をして李承晩を大統領とする大韓民国建国。ソ連は朝鮮民主主義人民共和国を建国
・李承晩政権は元官僚や地主と結託。インフレで民心離れ、済州島の民衆蜂起を武力鎮圧して3分の1の島民を殺害。

C 中国
共産党×国民党の 内戦→中華人民共和国(蒋の台湾脱出)(1949)

・アメリカはアジアの資本主義再建を握るものとして中国を重視。1946年、蒋介石と 毛沢東の内戦再開。国民党430万、共産党120万。アメリカは蒋介 石が勝つと思っていた。
・当初は国民政府優位だが、1947年7月、毛沢東が土地改革を訴えると形勢逆転。
・1949年には天津、北京を占領。1949年、蒋介石の台湾脱出を受けて 中華人民共和国が建国される。

日本の反共基地化必要

・1948年になると、中国が共産化することが見えてくる。対ソ連の基地の役割を日本 に求めることになる。そのためには日本の民主化も度が過ぎるとまず い。

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