7 ファシズム体制の成立と大日本帝国の崩壊
<ファシズムと満州事変>
[ファシズムの理論]
A 発生の状況
   第一次大戦後、おくれた資本主義国で発生
Q1 ファシズム体制が確立された国はどこか。どういう共通点があるのか。

A1 日本・イタリア・ドイツなど。いずれも遅れた資本主義国で、中産階級(地主・自作、中小企業者)が厚く存在したのが特徴である。

・資本主義の発達が中途半端だと、階層分解が十分に進んでいない。アメリカやイギリス は階層分解が進んでいるため、資本家と労働者の対立が激しく、労働者の力も強いために資本家はその要求に対して妥協をせざるを得ない。
日本は農村の近代化が遅れたため、中産階級として農村で圧倒的な力を持つ 寄生地主が存在していた。

   深刻な不況=階級闘争の激化→革命の危機、

深刻 な不況の中で、労働者は解雇や賃下げで生活苦に陥るため、階 級闘争を激化させてゆく。彼らは革命を目指す ようになる。
・不況の中で大資本家は企業合同を繰り返し、どんどん成長し てゆく。政治家との癒着も進む。
・日本の中産階級の代表である寄生地主は、昭和恐慌による米価暴落の中で決 定的に没落し始めていた。また、中小企業も倒産の憂き目に遭っている。いずれも政党政治の現体制には不満であるが、階級闘争や革命にも反対の立場を取 る。居場所がない人たち。彼らに対してファシズム政治家は接近す るのである。

         中産階級の不安、絶望

1930 年代には革命が起きると考えられていた。これが国民の不安となる。1927年、芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」を訴えて自殺している。
・不安な時代には変なものがはやる。1933年、「東京音頭」が流行する。夕方になればどこの路地裏でも踊りが始まる。当時は中国で満州事変が進行し、国 際連盟脱退、滝川事件などがあった。これからどうなるのかという暗い世相に背を向けて踊り狂ったものという。
・1933年にはヨーヨーのブームが起きる。モボやモガが始めたもので、学生、サラリーマン、巡査に到るまで、町のいたるところでおこなう。
・死ぬことがブームになったのもこの頃。1932年、坂田山心中事件が起きる。慶応大学生と静岡の資産家の娘の心中で、親に結婚を反対されて大磯の坂田山 で服毒自殺したもの。死体が埋葬されたが、女性の死体が盗まれ、裸にされて発見される。検視の結果、2人が男女関係を持っていなかったことが分かり、ミー ハー族がわきたった。坂田山は観光地となって見物人が押し掛け、坂田山饅頭や坂田山最中が売られる。「天国に結ぶ恋」という映画が作られ、西条八十作詞の 「2人の恋は清かった」という歌が大ヒットする。この映画を見ながら映画館で服毒自殺をするのがブームになり、上映禁止となる。
・1933年には大島三原山の火口への飛び込み自殺がブームになる。東京の女子専門学校生が2人で大島に来て、1人が見届け人になり、もう1人が飛び込 む。この見届け人は前にも自殺に立ち会ったことがあった。三原山に飛び込んでみたいという者が殺到し、1年間で男804人、女140人が飛び込む。1日平 均3人。

B 強力な指導力による大衆操作(テロ)
 1 意 識・生活の画一化=階級の結集防止

・不安な人たちは「俺についてこい」という強力なリーダーシップを持つ者を待ち望んで いる。ここに登場して国民をリードする政治がファシズムである。
・不安の原因の一つである革命は、日本では起きないことを見せてやる必要が ある。革命が起きるのは階級を人々が意識するからであり、階級差を見えなく することで革命を封じ込める

Q2 我々がこの人は金持ちだと思って階層差を感じるのはどんなときか?

A3 人が格差を意識するのは相手の身なりを見てのことである。ブランド品に身を固めている者を見ればお金持ちだなと思う。贅沢な服を着る者がいれば、着 られない者は格差を感じる。

「ぜ いたくは敵だ」と叫ばれる。みんなが国防服を着れば格差は見えない。女性は割烹着を着物の 上から着て見えなくする。床屋に行けば翼賛カット、女性のパーマは禁止とされてひっつめ髪になる。興亜奉公日が設けられ、お昼の弁当は日の丸弁当にされ る。みんな同じ格好で同じものを食べる。反発するものは非国民として弾圧する。

Q3 ファシズム=ファッショと同じ語源の言葉は何か?

A3 ファッションである。みんなが同じ格好をするのが流行であり、ファッションである。

    共産主義の敵視、暴力的弾圧

・意識や生活の画一化は階級差を見えなくするだけで、実際には存在する。そこを指摘し てやはり革命を起こそうという者に対しては徹底的に暴力で弾圧を する。共産主義は敵だと教え込んでゆく。

   自民族の優秀性強調 cf)神国日本

・一方では日本は世界で唯一の神が支配する国だと主張して国民の自尊心をくすぐる。「美しい国・日本」が強調されるのである。

 2 植民地再分配(対外侵略)による不況克服(国民の不安解消)

・中産階級の願いは没落からの立ち直りである。ファシズム政治家は日本が「持たざる国」のため不況から脱出できない。そして現政権では政治腐敗のため不 況が克服できないと説く。現政権を倒し、世界の富を独り占め している英米に対抗する対外進出で再生しようと言って支持を集める。
英米に対抗するには弱い地位の日本人は結束が必要となる。 これは階級闘争を抑える効果も持つ。
対外 侵略で植民地をぶんどれば、それによって確かに景気は回復するので、国民はファシズム政治家についていってよかったと不安が解消する。
・しかし、植民地をぶんどるのは戦争によってであり、取られた側、植民地支配される側の視点が欠けているのである。そのうちにしっぺ返しが来るのは確実で あり、やがては大戦争になって負けてしまう。この意味ではね ずみ講のような悪徳商法の手口と似ている。

    ex)独=ヒトラー、伊=ムソリーニ、日=軍部

ヒト ラーは中産階級の出身で、世界恐慌の中で没落してゆく。それは金融を営むユダヤ人が悪いとからだと考えた。この主張を叫んでいたナチ党(国 家社会主義ドイツ労働者党)に加入する。
・ヒトラーは演説家ゲッベルスと組んだことで台頭する。小児麻痺で身長150センチの彼は、コンプレックスの裏返して雄弁術で名声を博した。映画、集会を 通じて大衆に政治宣伝をする。「小さなウソは通用しない。大きなウソを繰り返すことで信じさせることができる」はヒトラーの有名な言葉である。
・ナチは現体制に不満を持つ大衆を突撃隊、親衛隊の右翼に組織した。労働者のデモやストを攻撃させ、恐怖感をあおって大衆操作をしていった。
・一方ではドイツ民族の優秀性を強調する。ベートーベン、バッハ、ブラームスなどの音楽家を輩出した国がドイツである。それに対してスラブ人は劣等民族で あり、名前が書けて500まで書ければ十分であるとした。増えないよう病気になっても病院に入れない。彼らはドイツ人の奴隷であるとした。ユダヤ人は害悪 であるとし、全ヨーロッパ1100万人のユダヤ人を収容所で酷使し、絶滅させる計画を立てる。
・むちゃくちゃな論理であるが、不況にあえぐドイツ人はこの嘘に引っかかってゆく。ナチスの議席数は1928年、81万票、12議席に過ぎなかったもの が、1930年、650万票、107議席となる。1932年11月、ナチスは196議席、社会民主党121、共産党100である。この時代は階級闘争も盛 んであり、共産党も勢力を伸ばしている。社会民主党と共産党が手を組めばナチスをくい止められたが、両党は内輪もめをして実現しなかった。
・ナチスは1933年2月、国会放火事件を共産党の仕業として弾圧し、その後に社会民主党などの政党を解散に追い込んだ。
1933年、ヒトラーは首相となり、授権法で独裁権を握る
ファシズム政治家はクーデターによって登場したのではない。現体制に不満 と不安を持つ大衆を操作して、その支持を取り付けて合法的に政権を取っているのが特徴と言える。

[十五年戦争の開始]
A 各国の不況克服策
   米=ニューディール政策

1933 年、ルーズベルト民主党大統領がニューデイール政策を始めた公 共事業を大規模に展開し、購買力をつけて生産を盛んにする積極財政である。全国産業復興法を出し、生産制限、賃金引き上げ、失業者救済をす る。農業調整法では作付け制限をして農産物価格を引き上げ、TVA(テネ シー川流域開発公社)を作って失業者を吸収する。
・1937年に1929年の90%まで生産が回復している。実は、経済的にはニューディール政策は必ずしも成功していないと言われる。しかし、国民はルー ズベルトの演説に希望を与えられ、未来を彼に託し、世界恐慌の不安を除去された。政治家に必要なのはこのような力である。

Q4 アメリカのような政策はどこの国でも可能なわけではない。どういう条件があるの か。

A4 フロンティアがあることで可能。

   英=ブロック経済(排他的経済政策)

・イギリスはイギリス連邦以外からの輸入に高関税をかけた。植民地頂点のイギリス本 国が潤う。これも植民地をたくさん持っているからできる。

   独=ヒトラーによる再軍備、対外侵略

・ドイツはアメリカ資本の引き上げにあって恐慌となった。工業生産は1932年は 1929年の60%に落ち、失業者は800万人に上った。
・ナチス一党独裁体制が1933年に完成すると、天文学的賠償金を課したベ ルサイユ体制が悪いとし、ヒトラーは1935年に再軍備に踏み切る。

   日=日満経済ブロックの強化

・日本は満 州利権に固執するのが景気回復策と考えた。イギリスのような円 ブロック経済圏を作りたかったのである。しかし、満州の利権 は中国民族主義によって危機にさらされていた。

B 中国の状況
 1 国民政府の統一(張学良服属)1928

1928 年、張学良は国民政府に服属し、これで全中国は国民政府によって統一された。

    but共産党(毛沢東)との間で内戦発生

・しかし、共通の敵である軍閥がいなくなったことで、今度は国共合作が崩れて国民政府と共産党の内戦が起きた。1930年から、蒋 介石は50〜100万の大軍で共産党軍と戦った。アメリカの援助で空軍も持つようになる。

 2 満州での日本の後退
    満鉄平行線建設、満州権益回収政策、日貨排斥、反日運動で苦境

・張学良は国民政府の東北辺防総司令となる。満州では反日運動が継続し、満鉄と平行して中国が鉄道を敷設して北満州 の大豆はこれで運んだ。満鉄は大きな打撃を受ける。
・1931年、国民会議は旅順・大連の回収、満鉄の回収、関東軍撤退を叫ぶ ようになり、日本は満州から追い出されそうになる
・反日感情からくる中国ナショナリズムの高揚はすごかった。 条約を一方的に破棄して利権を取り戻そうという行き過ぎがあり、日本を刺激した。在満日本人との衝突事件も相次ぎ、日本でも「暴戻なる支那人」として反中国感情が吹き出してくる。

     →武力による満州植民地化目指す(石原莞爾らの主張)

関東 軍参謀石原莞爾は、世界最終戦で日米決戦を予想していた。これに勝つには、満蒙を領有することがカギであり、そうすれば持久戦もOKと考えた。そ のための軍事計画を立て、陸軍中央に相談し、1935年までに満蒙問題を解決しろと迫っていた。利権を守るための手だてをきちんと立てろというのである。

C 満州事変
    政府無視して満州奪う実力行動(関東軍)
 1 柳 条湖事件 1931
    奉天郊外満鉄爆破

1931 年9月18日、中国兵による満鉄爆破をでっちあげて満州にいた中国軍に軍事行動を開始する。柳条湖事件という。板垣征四郎、石原ラインで仕 組み、形だけ鉄道を爆破した。満鉄の列車は、事件後、現場を無事通過しているので爆発は小規模だったことがわかる。

     →軍事行動、満州占領

・関東軍は暴戻なる中国軍が破壊工作をしたため、自衛のためにやむなく正当防衛の戦いを始めたと説明。鉄道沿線を離れて 戦地は拡大する。蒋介石は共産党と戦闘中で手が回らず、張学良軍も弱かった
・9月24日、幣原外相が動き不拡大方針を出すが、関東軍は大いに不満。これを押さえ込むためのテロが計画される。
・十月事件は陸軍急進派・桜会が計画したもので、首相を暗殺し、荒木貞夫内閣を作ろうという計画だった。事前に漏れて失敗したが、急進派を怒らせるとテロ に遭うという恐怖感を若槻に植え付け、総辞職に追い込んでいる。
関東軍は政府方針を無視して戦線を拡大。参謀本部からの撤 退命令に対し、「帰ろうと思うが道がわからない」と言って従わない。1日に4回の奉勅命令でやっと撤退する始末である。
1932年2月までに満州全土を占領。張学良は万里の長城の南へ脱出。中 国は日本の侵略であるとして国際連盟に提訴した。

 2 満 州国独立 1932
    上海事変に乗じ溥儀(清朝最後の皇帝)を執政とする

・占領した満州の処遇が問題となる。石原は植民地にしてしまおうと考えたが、これでは 明らかに九カ国条約違反となる。陸軍中央は満州民族の民族自決の結果として 作られたと説明するのがよいと判断して傀儡国家をでっち上げることになった。外務省はもちろん反対するが押し切られる。
・満州民族は満州では少数派。清朝時代に漢民族が流入し、8割は漢民族が住んでいた。その満州族の独立国家というのはかなり無理があった。
清朝最後の皇帝は溥儀だった。3歳で即位したものの、7歳 で辛亥革命が起き、18歳まで袁世凱のもとで紫禁城に軟禁されていた。軍閥がいなくなって天津に蟄居していたが、満州国の支配者として日本によって連れ出 された。
・満州から目をさらすため、1932年1月、板垣は上海で騒動を起こす計画を立てる。女性スパイが中国人を買収し、日本人僧侶を襲撃させる。日本人居留民 と中国人の紛争に発展し、日本陸戦隊1000人と中国軍3万5千がにらみ合う。陸軍は増援され、列強も租界警備に当たった。2月に開戦、3月に停戦とな る。第一次上海事変という。
この間、関東軍は満州占領を完了。1932年3月、新国家建設を発表し た。執政は溥儀で、1934年には皇帝となる。年号は大同、 首都は長春。スローガンは「五族協和」「王道楽土」。
犬養暗殺後の1932年9月15日、日満議定書で日本が満州国を承認し、 日本軍駐留を約束。日本の満州権益は全て承認される。

   but日本人が政治・軍事掌握(日満議定書)日本の植民地国家

満州 国の実態は日本の傀儡国家だった。軍隊は日本軍。鉄道は全て満鉄が経営。政府職員2000人のうち4分の1は日本人。日満合弁会社は250 社で、資本の80%は日本人が持つ。日本が満州の経済開発を進める中で、満州人を排除し、こき使う構造。

      cf)新興財閥の進出(日産、日窒)

日本 産業、日本窒素、昭和電工などが進出した。軍部と結んだ新興 財閥と言われるもので、重化学工業中心に発達させる。
日本産業は鮎川義介が久原鉱業を引き受け、満州事変の軍需 景気の中でコンツェルン化。日立製作所、日産自動車、日本水産など傘下に収めて満州へ進出した。1937年、満州国政府と折半で満州重工業開発株式会社 (満業)を設立。満州産業開発5ヵ年計画の遂行機関となる。満州に31社、日本に63社を持つコンツェルンに成長している。
日本窒素は1908年に野口遵が水俣に設立。大正末期に硫 安生産をする大化学資本となる。1926年から朝鮮に進出し、鴨緑江の水力発電を利用して生産した。

        満蒙開拓団入植

・政府は満 州農業移民100万戸計画を立て、実際には22万人が満州移民に出た。農業生産力の低い地域から大量に移民で出る。長野県だけで3万8千人 の移民。現地の人の土地家屋を安く買い取ったり取り上げて移住している。
・叔父は根羽村の出身で、山の中の生まれ。養蚕で食べていたが、昭和恐慌で食べられなくなってしまう。そのため、満州移民の話がもたらされる。
・満州は夏と冬の二季の土地。冬は氷点下20度以下。夏は一斉に緑が芽吹いて大豆、コウリャンなどが放っておいても採れた。中国人の土地を安く奪い、日本 人が経営しているため、夜になると日本人開拓部落が馬賊の襲撃に遭う。
・太平洋戦争末期のソ連参戦で混乱し、帰還できた人は半分。8万人近くが死亡している。子供を連れては逃げられないとして置き去りにされたのが中国残留孤 児である。
・叔父は16〜19歳の男子からなる満蒙開拓青少年義勇軍として行っている。8万7千人が行くが、ソ連参戦で2万人以上が死んだ。叔父は中国人民軍に救済 され、人民軍として国民政府軍と戦わされている。

    =軍需拡大で重化学工業発達→経済の活性化
      (世界恐慌以前の水準回復 1933)

満州 を獲得した効果は大きかった。1933年には世界恐慌以前の経済水準に戻っている。


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