<世界大恐慌と政党政治の閉幕>
[浜口雄幸内閣(民政党←憲政会)]

民政 党は憲政会と政友本党が結集してできる。国民の立場に立つ政党の意味としては画期的なネーミングだとされる。総裁は浜口雄幸。あだ名はライオン。衆議院選出の議員で、選挙で落選す るなどの苦労もしている。爵位を持つ若槻とは違って国民の代表として受け入れられた。

A 不 況の克服の失敗(井上準之助蔵相)

政治 課題の一つ目は経済政策だが、民政党内閣はここでも不況の克服に失敗してしまう。大蔵大臣は井上準之助。井上は横浜正金銀行総裁から日銀総 裁になっていた人物で、浜口に乞われて大蔵大臣になった。浜口は「金解禁は誰がやってもうまくいかない。しかし必要。自分は一身を国に捧げる。内閣に加 わってくれ」と口説いたという。後に2人とも暗殺されることになる。
・田中内閣のインフレ政策のため、物価高と為替の乱高下で輸出は不振となった。もともと100円=49.85$だったものが、一時は100円=38$になっていた。 これだと輸出しても日本製品は高いと映って買われない。
・積極財政に必要な財源は外債でやりくりしてきたが、償還期限が来て借り換えが必要になる。しかし、金本位制でないことが障害となって外国は借金をさせて くれない。このため金解禁がどうしても必要となる。

Q1 金解禁をするにはどうしたらいいのか。

A1 円の流通量を減らして金の保有量に近づけるしかない。そうでなく金解禁をすれば日本の物価は高値で固定されてしまう。為替相場を旧平価に戻す必要が ある。

Q2 円の量が減れば物価はどうなるのか。景気はどうなるのか。

A2 モノを買わなくなるので物価は下がる。その結果、日本製品は安くなって輸出は回復する。しかし、それまでの間は景気は悪化して厳しい状態が続く。

   緊縮財政、産業の合理化

・浜口は「全国民に訴える」のビラとラジオで金解禁の必要性を訴える。「少々の病気に は薬を用いるが、重い病気には劇薬を用いる必要がある」。
経費節減、正貨蓄積を進め、不況に対しては産業合理化で備えさせるこ とにした。国内で無用な競争を除き、企業が協力して生産をおこなう。
・この結果、円の流通量は減って円の価値が増し、為替は回復して国際収支は 好転した。100円=46.46$まで回復。ここで金解禁を考えた。
・ライオン宰相に対する国民の評価は高かった。解禁後の1930年2月の総選挙では、民政党は171議席を271とし、政友会は237議席を173として いる。浜口の懸命の姿勢を支持したもの。

Q3 完全に元の為替に戻っていない。無理して旧平価で解禁するか、新平価で解禁する か意見が分かれた。それぞれどういう効果があるのか。

A3 旧平価だと円高で輸出には不利だが合理化はさらに進む。新平価だと円安で為替が固定され、ショックはないが物価高も固定される。

新平 価解禁はこの時の日本の実力に合っているのでショックはない。しかし、旧平価に比べて円安なので、日本の物価高が固定され、ぬるま湯につかっているようなもの。将来的に は景気は改善しない。
・無理して旧平価で解禁すれば円高なので輸出には厳しく輸入が増える。 これだと金が流出して円の流通量はさらに減る。デフレで不況になるが、さら に物価安を誘導するため、その試練に耐えて合理化を促進して体質改善をすれば、日本企業は競争力をつけ、将来的には輸出で勝てるようにな る。アメリカ経済が好調であるため大丈夫というのが井上の読みだった。
1929年11月22日、翌年1月に金解禁すると公布し た。アメリカは好景気の絶頂で、輸出を伸ばすよい時期と判断。その前に起きた「暗黒の木曜日」を過小評価していた。

   →金解禁 1930
   but 1929 世界大恐慌(アメリカ経済の破綻)の波を受け混乱

・しかし、この時点での金解禁は「雨戸を開けて暴風の中に飛び出したようなもの」と評される。1929年10月24日、アメリカでは「暗黒の木曜日」を迎えて株価の暴落が起きてい た。
・当時はアメリカ経済がヨーロッパ経済を支えていた。アメリ カは敗戦国で莫大な賠償金を課されていたドイツに金を貸して復興を支えていた。立ち直ったドイツはそれによって英仏に賠償金を払う。英仏はそれによりアメ リカに第一次世界大戦の借金を返す。このお金の循環の中でアメリカはヨーロッパに輸出して儲けていた。
・1927年、アメリカでは耐久消費財が全て普及し不況となる。金利引き下 げで景気を刺激し、景気は持ち直す。1928年、大統領フーバーは「台所には2羽のニワトリ、ガレージには2台の車が当たり前になる」と演 説し、「永遠の繁栄」を続けると信じていた。
・金利が低下すると国民は銀行の預金を引き出して株式投資に転換する。このため株価暴騰で好景気が続いた
・しかし、ヨーロッパの在外資金も引き上げて株式投資をする ようになり、資金を失った銀行もドイツに金を貸せなくなった。ヨーロッパは 金詰まりとなる。このため、ヨーロッパはアメリカ商品が買えなくなった。アメリカの輸出企業は先行き不安となり、国民は株を一度に放出した。こ のために株が大暴落する。
・ゼネラル−エレクトリック株は400$から283$になる。一日で数10億$損失。多くのアメリカ人はあっという間に資産を半分に減らしてしまい、モノを買わなくなって大不況となる。
・1932年、アメリカの失業者1200万人。4年間で工業生産は2分の 1、貿易4分の1、国民所得2分の1。ブレッドラインに2000人の列ができる。

     →輸出激減、金流出=物価暴落

・実態は100円=48$を旧平価の100円=49.85$で解禁した。いきなりの円高に加え、アメリカの破綻で輸出は伸びない。輸出価格の引き下げが必要となり、デフレが進んだ
・金解禁されれば円高になることが分かっていた。このため、三井などの財閥は、金解禁をあてにして100円=48$の円安の時に手持ちのドルで円を買い、 金解禁後に円が49.85$と高くなったところでドルに替えれば平価の差額の1.85$が儲かる。
・解禁後すぐにこの円が売られたため、円は金と交換されるので金が流出する。解禁開始2か月で1億5千万円の金が出てゆく。
・世界恐慌の中、イギリスは金の流出を防ぐために金本位制を停止する。日本もじきに停止することが予想され、100円=49.85$の円はすぐに100円 =48$に戻ると考えられた。その前に円を売りドルを買っておく必要がある。円 売りが激しくなり、金が流出する。2年間に4億3000万円の金が流出。
金が減れば通貨量も減るので物価は暴落する。1931年は 前年比35%減。

  ∴昭 和恐慌の発生

・こうしてデフレスパイラルが発生した。物価暴落→中小企業の破産→失業者増大→購買 力減少→物価下落という悪循環である。1930年の倒産823社、失業者 100万人という。「大学は出たけれど」が流行り言葉になった。労働者の6%。20人に一人は失業。一説に300万人といい、そうだとすれ ば5人に一人の割合である。

    cf)失業者100万人、農業恐慌

・特に打撃を受けたのは農村。農産物価格の下落率は工業製品よりも激しい。これをシェーレ(鋏状価格差)という。飛びきりやすい農産物を売って比較的値 下がり幅の低い肥料などを買う必要があったことからたいへんだった。
・アメリカが輸入をしなくなった生糸価格は、1929年10斤116円だったものが1931年55円。
・1930年は豊作で米価が暴落。生産費1石あたり27円なのに売価は16円だった。キャベツ50個でタバコ1箱の値段にしかならなかった。
・都市の失業者は汽車賃もなく、歩いて帰村してきた。そのため農村の人口は増える。1934年は一転して東北中心に大凶作となる。「大根をかじる子」の写 真はこの時のもので、体育の授業は空腹でできない有様。線路に群がる子供が列車から捨てられる弁当殻を拾う。
・1931年、山形県小国村の15〜24歳の女性467人のうち、遊郭へ身売りしたのが110人、酌婦になったのが150人。
・この時期、小規模地主、自作農など中産階級が没落していっ た。彼らは政党政治に不信感を持ち、ファシズムの担い手となってゆく。

B 協調外交(幣原)
 1 英米中との関係改善

・済南事件の後始末として、日本は英米と関係を回復する一方、日清通商条約を改定し、中国の関税自主権を認める歩み寄りを見せた。幣 原外交である。

 2 ロンドン海軍軍縮条約(全権=若槻)1930
    補助艦の保有制限

・ワシントン条約により、制約のない補助艦の建艦競争が激しくなっていた。日本は対英米協調のた め、ワシントン条約で除外されていた補助艦の制限交渉に応じるこ とにした。全権は若槻礼次郎
・海軍軍令部(作戦、防御計画などを立案するもの。陸軍は参謀本部という)は対 米7割でないと太平洋の安全保てずと主張し、この線で妥結するように要請する。
・結果は対米6.97割、大型補助艦6割で妥協した。若槻は政府に了解を求め、もっと譲歩させられるとして反対する軍令部を抑えて調印する。

    米:英:日=10:10:7
     but軍部、対華強硬派の攻撃=統帥権干犯問題

・加藤寛治軍令部長は「作戦を立てる軍令部の承認なしに常備兵額を決定するのは統帥権干犯」と 怒った。浜口はこれを更迭して海軍を抑えようとする。
・ライバルの政友会はこれを利用して倒閣運動を始める。鳩山 一郎は「国防計画は統帥権に属す。軍令部の反対を無視しての調印は不当」として攻撃した。しかし、軍のことは天皇の統帥権に属するから政党政治家は口出し できないということを政党政治家が言っているようでは終わりである。党利党略の民主主義否定の主張だった。民政党は議会で多数だったため、これを切り抜け る。
・条約の批准には枢密院の賛成が必要で、議長の伊東巳代治が反対する。浜口は強硬姿勢をとり、新聞も政府を応援したことで批准にこぎ着けた。軍部、枢密院 を抑える政党政治の最後の金字塔だった。

      cf)浜口の狙撃

・1930年11月14日、浜口は岡山の陸軍大演習へ行くため、東京駅で「つばめ」に 乗る。原暗殺以後、首相利用の際は駅への一般人の立ち入りを制限していたが、浜口はやめさせていた。愛国社社員佐郷屋留雄によって浜口は狙撃される。小腸7カ所を傷つけて骨盤に達する。「男子の本懐で ある。時間は何時だ」と聞き、これが当時の流行語になった。
・入院した浜口の代理は幣原。政友会がロンドン条約批准で民政党批判を続ける。幣原が「天皇が批准したのだから、この条約は国防を危うくするものではな い」と言ったため、天皇に責任を転嫁しているとして批判され、国会で乱闘が起きる。浜口が出ざるを得ず。体内に弾丸がある身体で登院して答弁する。 1931年4月の議会終了後、首相を辞職。若槻に引き継ぐが 8月に死亡した。
・浜口の金解禁政策は間違っていた。しかし、信念を持って政治をおこない、それを言葉を用いて国民に訴えて支持を得ようとした点で評価できる人物であろ う。

[第2次若槻内閣(民政党)]
A 不 況の収拾
   重要産業統制法施行

・民政党は金解禁の他に方策がない。金本位制なので通貨量を増やすインフレ政策はとれ ないので、産業の合理化をひたすら進めることになる。浜口内 閣の時に準備していた重要産業統制法を施行する。

   カルテル、トラスト結成による合理生産推進(財閥成長)

・大企業の体質強化が目的。合理化で国際競争力をつけようとするものカルテル、トラストを誘導するために法的強制力を認め、カルテルに入らない企業も従わ せる。石炭カルテルでは生産を従来の27%に抑制し、全ての石炭業界を従わせる。
・現在は独占禁止法で禁止・制限されているものを国が勧めたもので、これに よって財閥が完成することになった。
・カルテル結成83。王子製紙、大日本麦酒など市場の3分の2以上を独占するトラストもおこなわれる。しかし、これは大企業や財閥を利するものと見なされる

     =政府と財閥結合する政治腐敗
      →軍部=海外進出で不況克服(没落中産階級=地主が支持)

・不況で没落するものが相次ぐ中、もともと貧しかった者たちは階級闘争をするが、この 時に没落した中産階級は階級闘争に入ることは好まなかった。多くはプライドのある地主である。彼らは政党政治に愛想をつかし、ファシズムを支持するようになる。軍部を応援して戦争で不況 を脱しようとする。

B 満州事変 1931
   不拡大方針無視し関東軍独走
    cf)十月事件=軍部による若槻殺害計画→総辞職

1931 年9月18日、奉天郊外の満州鉄道線路が中国軍の手で爆破されたとし、関東軍は中国軍を満州から追い出す軍事行動を開始した。東京の陸軍中 央も内閣も不拡大方針を出すが現地軍は勝手に戦線を拡大して満州を占領する。これが満州事変である。
・この頃から、腐敗した政党政治に代わって軍部が政権を握ろうというクーデ ター計画が目白押しとなる。
十月事件は桜会中心に中堅将校だけで計画。若槻首相を殺して政権を奪い、関東軍の板垣征四郎、石原莞爾と連絡し、 荒木貞夫に大命降下させようというもので、陸軍首脳には知らせずに密かにやろうとした。
・ばれてしまい、検挙される。しかし、若槻内閣はテロの危機のため退陣す る。ここでもう少し粘り、軍部をつぶしにかかればよかったいう説もあるが、若槻は泥仕合は好まないのである。
幣原も政界から引退し、協調外交の幕切れとなる。

[犬養毅内閣(政友会)]
A 積 極財政による景気回復(高橋財政)
   金 輸出再禁止(管理通貨制、1931)

・憲政の常道のルールから政友会が組閣する。高橋是清が大蔵大臣となり、金輸出は即日禁止

Q4 景気が悪いのはモノが売れないからである。売れるようにするにはどうするのか。

A4 国民にカネを持たせれば売れるというのが高橋の発想だった。

・古典的経済学では、不況の際は生産の合理化(解雇、賃下げ)を進め、価格を下げて販 売を回復させようとする。しかし、その過程で失業者は増大し、購買力は余計に低下する(デフレスパイラル)。
高橋はモノが売れないのは買おうとする者が金を持っていないからだと考え る。失業者をなくして完全雇用を実現するため、財政支出を膨 張する政策をとる。これは金本位制に代わる管理通貨制度のも とで可能となる。これを国家独占資本主義とい い、国が経済の行方を決定するものである。
・これは後にケインズが理論づけた主張(1936年)であり、それを実践したことで世界的に有名なものにアメリカのニューディール政策(1933年)があ る。高橋財政はそれに先立つものだったと言える。

   軍需拡大で購買力高める

・財政支出拡大で購買力を積極的に高めることを目指し、1931年と1933年を比べ れば支出は150%増となった。特に軍需拡大が著しい。

Q5 通貨量が増えれば為替相場はどうなるのか。

A5 円がだぶつくので価値を失い、円安となる。

    →急激な円安、

・アメリカは1933年まで金本位制を維持していた。このため、円を売って金と交換で きるドルを買う動きが急ピッチで進み、円が海外に出てゆく。急激な円安と なり、100円=49$が100円=20$(1932年)まで安くなる。
・高橋は為替管理法を出し、この水準で為替を安定させてしまった。

Q6 極端な円安だと、輸出はどうなるのか。

A6 輸出は有利である。

     低価格による輸出伸張

・金解禁前とは異なり、日本の物価は大幅に下がっている。そこへ来ての極端な円安なので、日本 製品はとてつもなく安く映る。輸出が急速に伸び、景気は1932年に恐慌以 前に戻る。アメリカは1937年頃まで低迷。
・輸出額比較(1929年:1935年)では日本111%、イギリス58%、アメリカ43%であった。
・反対に輸入はほとんど止まる。今まで輸入品に押されていた 国内重化学産業が発展することになる。

   butソーシャルダンピングとの列強の非難→ブロック経済招く

・しかし、低価格による輸出攻勢はソーシャルダンピングと非難される高関税による日本製品流入阻止が図られ、経済のブロック化が進む。これが高橋財政の落とし穴だった。
・管理通貨制度の元では軍事費の増大に歯止めがない。金本位制なら予算枠で軍事費を抑制できるが、印刷機を回してどんどん紙幣をすればよくなる。高橋は景 気が回復したら締めるつもりで、軍事費を削減した。そのため、国防に不熱心な「君側の奸」として二・二六事件で暗殺されてしまう。

B 対華強硬外交
   関東軍増援
    but 五・一五事件で暗殺(1932)
      軍部独裁ねらう青年将校による=政党政治の閉幕

・犬養はとりあえず関東軍の増援は認める。しかし、軍部の動きを全面的に容認したわけではなかった。関東軍は1932年3 月に傀儡国家の満州国を建国したが、犬養はこれを認めていない。
軍部は、政党政治家は財閥と結びついて腐敗した政治をしていると批判し ていた。政権奪取を目指し、海軍士官、陸軍士官候補生、民間右翼30人がテロを計画。首相官邸、政友会本部などを襲い、変電所を奪って東京を暗闇にする計 画だった。
・手始めとして、5月15日、海軍、陸軍9人が犬養首相を襲撃す る。五・一五事件で ある。夕方5時半、夕食中。警備の巡査を射殺して侵入。犬養はピストルをつきつけられ「話せば分かる」と客間に導く。「他人の家に靴ばきであがるとは何事 だ」と叱る。犬養が身を乗りだした時に「問答無用」と撃つ。虫の息の中、犬養は「もう一度、あれらを呼んでこい。分かるように話してやる」と言ったとされ る。翌日、死亡。犯人は自首。無期懲役から禁固4年までで、罪が軽かった。
・犬養は一貫して政党政治を目指した政治家だった。立憲改進党結成に加わり、第一次護憲運動、第二次護憲運動では先頭に立った。犬養が目指した政党政治は「話せばわかる」政治だった。それを「問答無用」 として撃ったのは象徴的である。五・一五事件は、「話せばわかる」政党政治 に代わり、「問答無用」のファシズム政治が日本を支配するようになる瞬間であったと言える。


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