<列強の中国分割>
[三国干渉]1895
露・仏・独の遼東返還の強要
・4月20日、下関条約が批准された。しかし、23日にはロシア、フランス、ドイツが日本に遼東半島の清への返還を勧告してきた。
「遼東半島割譲は朝鮮の独立を危うくし、清国の安全を脅かす」。これが三国
干渉である。
・日本は旅順口を除いて放棄してロシアと妥協しようとした。しかしロシアは譲らず、遼東半島沖に艦隊を並べて圧力をかけてきた。
∵露の南下政策、独仏の利権獲得策
・三国干渉は清のことを思ってやられたのではない。ロシアは南下政策をとっており、極東に不凍港がほしかった。沿海州では
ウラジオストクがあったが、ここも冬になると流氷で閉ざされてしまう。
・一方、黄海の奥は暖流の関係で暖かく、旅順は不凍港である。ロシアはかねてからここに目をつけていたが、日本がとっていったので干渉したのである。
・ドイツとフランスは、ロシアの尻馬に乗って干渉をおこない、中国に利権を
獲得しようとしたものだった。
→代償3000万両で受諾
・これにより、日本は全地域を還付した。代償金は3000万両。日本円で4700万
円。
=「臥薪嘗胆」、国家主義台頭
・国民は干渉に腹を立てた。三宅雪嶺が新聞「日本」に論説を書く。このときに用いたの
が臥薪嘗胆の言葉である。中身は「清国に勝つには清よりも強
い大国に勝つ覚悟が必要。それがなくて三国干渉をされた政府は失敗」として、日清戦争に踏み切る際にロシア対策を練らなかった政府を批判するものだった。
・中国春秋時代、呉王の夫差は越の勾践に仕返しをするため、薪の上に寝た。その後の会稽の戦いでは越に勝つことができた。敗れた勾践は熊の胆を嘗めて復讐
を誓い、会稽の恥をそそいだ。
・政府はこの言葉を使い、国民にロシアへの復讐心をあおった。逆に外交の失敗を隠すものとしたのである。個人の自由や権利より、ロシアに勝つため国に協力
するという、国家主義が台頭してくる。
[列強の中国分割]
1 ロシアの遼東支配
・ロシアはフランスと相談して日本への賠償金1億両を清に貸した。この見返りとしてシ
ベリア鉄道が北満州を通過することを認めさせる。
対日軍事同盟(露清密約)締結
→旅順、大連租借、南満州鉄道敷設権獲得
・その後、露清密約を締結する。これは日本を仮想敵国とする軍事同盟。代わりに東清鉄道敷設権を獲得した(1896年6月)。また、清国保護を名目に
艦隊を旅順に入れ、遼東半島の25年間租借権を獲得。
1898年3月、長春・旅順間の鉄道(日本は南満州鉄道と呼んだ)敷設権も
獲得した。
・ロシアは念願の不凍港を獲得し、それとロシア本土を結ぶことにも成功した。
・租借は借りることだが、期限は99年などと長く、その間は自由に使える。期限が切れるときは延長されるので、実際には領土と変わりない。
2 ドイツ・・・膠州湾租借
・ドイツも三国干渉で恩を売っていたため、清から利権をせしめる。
・山東省でドイツ人宣教師が殺害される事件が発生。このため、膠州湾を占領
し、1898年3月、99年間租借権を獲得した。また、膠済鉄道敷設権を得て青島市を建設している。
3 フランス・・・広州湾租借
・1898年4月、保護国のベトナムから雲南への鉄道敷設権を獲得し、広州湾の99年間租借権を得た。また、雲南鉄道敷設権を獲得してベトナ
ムと清国領をつないでいる。
4 イギリス・・・ロシアと対抗、威海衛、九龍租借
・イギリスは中国にはたくさんの利権を持っていた。ロシアに対峙するため、日本軍撤退後の威海衛、フランスに対峙するため九龍を要求して
認めさせた。また、1898年6月、ビルマ・揚子江間の鉄道敷設権を得ている。
5 アメリカ・・・門戸開放宣言(ジョン・ヘイ)
=平等な中国進出権主張(領土保全、門戸開放、機会均等)
・アメリカはモンロー主義を唱えてヨーロッパに関わらず、一国中心主義を標榜してい
た。
・しかし、列強の世界分割が進む中、分割に乗り出すことになる。ハワイ併合後、米西戦争で1898年にはフィリピンを領有していた。
・中国には遅れて進出したため、一部地域をむしり取るよりも国務長官のジョ
ン・ヘイが機会均等を主張。中国の領土保全、列国への門戸開放、中国進出機会の均等を柱とする。やがては中国三原則を国際慣行にしてゆくし
たたかさを見せている。
cf)ヨーロッパの対抗関係
三国同盟(独・伊・墺)VS露仏同盟
英・・・名誉ある孤立
・ドイツは資本主義が遅れて発展。出てきたときにはほとんどを英仏が植民地にしてい
た。1914年の独の植民地は英の11分の1,仏の3分の1である。このため、列強間の対立抗争を誘発させて勢力伸張を狙い、1882年に三国同盟を独・伊・オーストリアで結んでいた。露仏はドイツ膨張をくい止
めるために1891年、露仏同盟を結んだが、英は名誉ある孤立を選択していた。
[ロシアの南下]
・日清
戦争後、日本は対朝鮮政策に失敗し
ていた。日清戦争直前に大院君を担いで政権とらせていたが、彼は内政改革に反対した。このため、高宗の親政にして内政改革を図ろうとした。法治主義、中央
集権を柱としたもので、日本の利益にも通じるものだった。政権安定で貿易拡大、影響力を行使できると考えたのである。ここにロシアが出てきた。
A 韓国への政治工作
親露派勢力作り、進出図る
・日本の締め付けに対して宮廷の反発が拡大し、閔妃はロシアを頼って日本けん制を図った。慌てた日本は閔妃暗殺を企て
る。
cf)閔妃暗殺事件で日本劣勢
・閔妃暗殺は日本公使三浦悟楼による事件。またもや大院君を担ぎ出してクーデターを起
こし、閔妃を殺して国王に親日派政権樹立を認めさせる計画だっ
た。
・1895年10月7日、日本人の愚連隊を雇い、後宮になだれこんで妃らしい上品な婦人を片っ端から3人殺害する。しかし、殺した者は皆若すぎるため、逃
がしたものと思う。生き残りの官女に聞いても日本語わからず泣くばかり。閔妃は頬にはげがあると聞き、調べると殺害した1人にその痕があった。
・一国の王妃を殺害したのだから列強は非難。しかし、日本政
府の指示ではなく、現地公使が独断でおこなったものとして処理することにし、小村寿太郎を特派した。
・朝鮮では反日運動が勃発。電信は不通となり暴動が起きる。
この間に高宗はロシア公使館に逃げ込んで親露政権を樹立し
た。公使館から王宮に戻った彼は、1897年、国号を韓国と改めた。
これは清との宗属関係を否定するためにとった行動で、自らを皇帝と称した。この時に大院君は失脚し、1898年に没した。
・この時期、朝鮮だけではなく、清でも改革運動として変法・維新運動が起きている。これは康有為が光緒帝に進言したもので、専制君主制から立憲君主制への
移行を目指したもの。しかし、西太后によって改革派は弾圧され、100日で失敗した。
・朝鮮、清の改革運動は日本の明治維新に比べれば30年遅い。この遅れが植民地化の道
をとらせることになった。
B 北清事変 1900
土地収用により、中国民衆の排外闘争発生
・ドイツの膠州湾占領はまったくの無法である。鉄道敷設で土地を取られた農民、仕事のなくなった運送業などの人の不満が高まる。いた
るところで排外闘争が発生する。
=義和団の蜂起(扶清滅洋主張) but連合国の出兵で鎮圧
・こういう不満を受けて組織化されたのが義和団である。呪文を唱えて義和拳をすれ
ば弾が当たっても平気という拳法+民間信仰の団体。自己催眠によって強化された拳法で神仙の法と呼ばれた。
・初めはキリスト教の排撃をしていたが、下層民を中心に拡大して排外闘争を
主導するようになる。黄巾をつけた連中が外国人皆殺しという噂も流れる。
・扶清滅洋を叫んで蜂起したのが義和団事変。1900年5
月、北京天津間の鉄道破壊で北京の外国人は孤立する。外国兵が来るが抵抗が強く、6月21日、清朝は義和団を利用して外国追い出しを図って宣戦布告した。
・イギリスはボーア戦争、アメリカはフィリピン独立闘争で大軍が動かせなかった。そこで日本に依頼。日本は日英米露独仏伊墺8カ国7万人の兵力中最大の2万2千人を派遣して鎮圧した。極
東の憲兵と評される。
cf)日本=「極東の憲兵」として列強に参入
・日本は講和会議への参加を要求。反帝国主義の運動をつぶす手先となり、アジアを裏切
ることで列強と同じテーブルにつくことができたものである。
→北京議定書=軍隊駐留認め、中国の植民地化進行
・北京議定書では公使館区域を設定してその中は中国人の居住は不可とし、軍隊の駐留を認めた。首都に外国軍が駐屯するのだから、事実上占領され
ているようなもの。4億5千万両の賠償金も約束させられる。
・日本側全権は小村寿太郎(ねずみ大使)。日本は鎮圧の主力であっても賠償金は7%しかもらえず、列強の対日観がその程度のものであったことがうかがえ
る。
C ロ
シアの満州占領
・この間、ロシアは東清鉄道保護を名目に8万人を満州に派遣。北京議定書調印後、
1902年に18カ月以内の撤兵を約すが一期撤兵をしただけで居座った。
・加えて、韓国との結びつきを強めてゆく。韓国に対するロシ
アの思惑は、半島南端に港を持ち、旅順とウラジオストックの間の行き来を可能にしたいというものだった。
Q1 ロシアがこの路線をとった場合、日本はどのようなことになるのか?。
A1 日本にとっては「利益線」を失うことのほか、日本海の制海権を奪われ、「主権線」である領土も脅かされることになる。
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1 列強の動向
Q2 ロシアの極東南下を列強はどう捉えたか。ロシアが南下するとすれば3カ所ある。
それはどこか?。
A2 極東、アフガニスタン・インド、西アジアである。
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Q3 この状況のもと、極東へのロシア南下が起きれば、得をするのはどこで、損をする
のはどこか?。
A3 ドイツは得をし、英米は損をする。
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ドイツ=露の東方経営を促し、西アジア進出図る
・ドイ
ツは西アジアへの膨張を目指していた。そのため、ロシアを東方経営に専念させれば自分がここに出られる。一方でイギリスを三国同盟に引き込
み、東方で英露の対立をあおれば、ドイツの西アジア進出に好都合と考えた。
イギリス=アジア植民地維持のため露の南下阻止
アメリカ=中国市場進出のため露の南下阻止
・イギ
リスは中国に利権を持っているのでロシア南下は阻止したい。アメリカは列強勢力が確定していない満州をねらっていたので、ロシア南下を食い止めたい。
2 日本の対応策
Q4 日本は当然、ロシア南下を阻止したいが、どうしたらよいか?。阻止するには戦争
するのが一番よいが、そのとき想定される列強の動きは何か?。
A4 ドイツ、フランスがロシア側に立って参戦し、日本は三国を相手に戦うはめになる。これは負ける。
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日露協商(伊藤、陸奥)=ロシアと妥協、満韓交換
・三国相手に勝てるはずがないので、妥協を考えた。満州はロシアにくれてやり、代わりに朝鮮を確保するため、ロシアと条約を結ぼうという
のである。
Q5 これに対し、小村寿太郎は異を唱えた。ロシアは条約を破るかもしれない。また、
日露協商を結べば、日清戦争で獲得した遼東半島は二度と日本のものにはならない。では、どうすればロシアとの戦争に勝てるのか?。
A5 ロシア南下をよく思わないイギリスと手を結ぶのである。
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日
英同盟(小村、山県)=イギリスと協力、南下阻止
・日本
は三国干渉で列強から孤立しているので、日英同盟ができれば言うことがない。しかし、陸奥宗光は「イギリスは他人を助けるようなドンキホー
テではない」といって反発した。
・伊藤博文、井上馨はイギリスは乗ってこないと見た。伊藤はロシアに飛んで日露協商を結び、満韓の勢力画定を話し合う。「その間、日英同盟を結ぶな」。満
州占領を認める代わりに韓国での日本の商工業、政治、軍事についての自由行動を認めさせようとした。しかし、ロシアは軍事については難色を示し、交渉は難
航した。
・一方、イギリスはボーア戦争で列強の反発をかっていたため、極東に力を注げなかった。ロシア南下阻止を日本に肩代わりさせられれば言うことがなかった。
・伊藤がロシアに行ったことでイギリスは焦って日英同盟締結に積極的になる。
D 日英同盟の締結 1902
日英両国の清韓権益擁護
交戦時の中立、第三国参戦阻止
・日英同盟では、日本がロシアと戦争になった時、イギリスは中立を守って第三国が参戦することを阻止す
るとした。そして、阻止できなかった時は、日本側に立って戦うとした。これで日本は帝国主義列強の仲間入りを果たしたことになる。
※対露戦争不可避となる
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