論述問題の解説と解答例


《1 日本文化の黎明》
<001 旧石器時代>
1 更新世とはどのような時代であり、当時の日本はどのような状況にあったか。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=氷河時代、関東ローム層
★ヒント=関東ローム層は「盛んな火山活動」の説明材料として使用する。

第四紀前半=1万年以上前
氷期と間氷期→氷河時代
海退現象で大陸と地続き
火山活動活発→関東ローム層の形成

【採点基準】
・更新世の定義(氷河時代)と、1万年以上前という年代が指摘できているか。2点+2点
・日本の状況(大陸と地続き、盛んな火山活動)が指摘できているか。3点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
更新世は最終氷期が終わった、今から1万年以上前の新生代第四紀前半を指す。氷期と間氷期が交互に訪れた氷河時代で、海退現象によって日本列島は 大陸と地続きであった。火山活動が活発で関東ローム層が形成された。(100字)


2 旧石器文化の特色は何か。どのように発達したか。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=オオツノシカ、握槌、石刃
★ヒント=オオツノシカは狩猟対象の例として使用する。

土器を伴わない打製石器のみの文化
狩猟採集 移動生活
ナウマン象やオオツノシカが獲物
握槌→尖頭器→石刃→細石器

【採点基準】
・旧石器文化の特色(土器を伴わない、打製石器のみの文化、狩猟採集生活)が指摘できているか。2点+3点+2点
・打製石器の進歩(握槌→尖頭器→石刃→細石器)が指摘できているか(細石器は必須)。2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
土器を伴わない打製石器のみの文化で、人々はナウマン象やオオツノシカなどの狩猟と採集による移動生活をした。打製石器は初期の握槌から石槍とし た尖頭器、ナイフとした石刃、木に埋め込んだ細石器へと進化した。(99字)


<002 縄文時代>
1 完新世になって、日本ではどのような変化が生じたか。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=海進現象、ドングリ、イノシシ
★ヒント=ドングリは植生の変化、イノシシは動物相の変化の説明材料として使用する。

地球の温暖化
海進現象で日本列島形成
植生の変化(落葉広葉樹)
大型動物の絶滅と小型動物の繁栄

【採点基準】
・温暖化と、それに伴う自然環境の変化(日本列島形成、植生の変化、動物相の変化)を関連付けて説明できているか。3点+2点+2点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
氷期が終わり、温暖化による海進現象で大陸との陸橋が水没し、日本列島が形成された。針葉樹が後退し、ドングリの生る落葉広葉樹主体の植生となる 一方、大型動物が絶滅し、イノシシやシカなどの小型動物が繁栄した。(100字)


2 旧石器文化と比べたとき、縄文文化の特色は何か。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=弓矢、石皿、ドングリ、サケ・マス
★ヒント=石皿は磨製石器の事例、サケ・マスは漁労を指摘するのに使用する。

磨製石器、縄文土器の使用
狩猟採集生活(ドングリ食)
弓矢、犬によるイノシシ、シカの狩猟

【採点基準】
・最大の特色である磨製石器、縄文土器の使用が指摘できているか。3点+3点
・狩猟採集生活の内容の変化(ドングリ食、弓矢の使用、漁労)が指摘できているか。1点+1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
人々は弓矢と犬を用いたイノシシやシカの狩猟、クリやドングリの採集、サケ・マスなどの漁労の生活を送っていた。打製石器に加えて磨製石器が登場 し、石斧や石皿として用いられ、煮炊きのために縄文土器が焼かれた。(100字)


3 縄文時代の社会と、信仰および特徴的な風習について、次の語句を使用して120字以内で述べよ。
    使用語句=貝塚、抜歯、屈葬
★ヒント=貝塚は定住の証拠として使用する。

定住化(台地)→竪穴住居、貝塚の形成
貧富差なし
年齢秩序の存在(抜歯)
アニミズム(屈葬、土偶)

【採点基準】
・定住化(竪穴住居、貝塚はその証拠)したが、貧富・階級の差がないことが指摘できているか。2点+3点
・抜歯を年齢秩序と結びつけて説明できているか。1点
・信仰=アニミズムの指摘ができているか。1点
・屈葬、土偶を呪術と関連付けて説明できているか。1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
人々は台地上に竪穴住居を建て、小集落を作って定住し、周囲に貝塚が形成された。生産性が低く、貧富や階級の差はなかったが、抜歯による年齢の秩 序があり、アニミズムと呼ばれる自然崇拝が行われた。霊の復活を防ぐため遺体は屈葬され、土偶を呪術に用いた。(120字)


4 縄文文化の発展はどのような点で認められるか。次の語句を使用して50字以内で述べよ。
    使用語句=ひすい、三内丸山遺跡
★ヒント=三内丸山遺跡は大規模集落の事例として使用する。

定住による大規模集落の形成(三内丸山遺跡)
交易の活発化(黒曜石、ひすい)

【採点基準】
・大規模集落と盛んな交易(黒曜石、ひすいの事例をあげる)のことが指摘できているか。3点+3点+3点(黒曜石)
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
黒曜石やひすいなどの交易も盛んで、食料の豊かな東日本では三内丸山遺跡のような大規模集落が形成された。(50字)


<003 弥生時代>
1 縄文文化と比べたとき、弥生文化の特色は何か。使用された道具を挙げながら、次の語句を用いて100字以内で説明せよ。
    使用語句=木鋤・木鍬、穂首刈り、銅鏡
★ヒント=穂首刈りのための道具として、石包丁も記述する。

稲作文化(木鋤・木鍬、田植、石包丁で穂首刈り)
弥生土器の使用
金属器の使用(青銅器、鉄器)

【採点基準】
・稲作、弥生土器、金属器の3つが指摘できているか。2点+2点+2点
・指定語句(木鋤・木鍬、穂首刈り)を、当時の稲作の実態に合わせて使用できているか。1点
・金属器のうち、青銅器(銅鏡)が祭器、鉄器が実用品として用いられたことを指摘できているか。1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
高温焼成の弥生土器を用いた稲作農耕文化であり、湿田を木鋤・木鍬で耕作して田植を行い、収穫は石包丁を用いて穂首刈りした。また、銅鏡、銅鉾、 銅鐸などの青銅器を祭器として用い、武器や工具に鉄器を用いた。(98字)


2 稲作が始まったことで、弥生時代にはどのような社会の変化がもたらされたか。そのことを示す事例を挙げながら、次の語句を使用して100字以 内で説明せよ。
    使用語句=甕棺、支石墓、玉・鏡
★ヒント=甕棺を一般人、支石墓を首長の墓の事例として使用する。

集落の形成(低地)
余剰生産物→貧富差、階級差の発生
墓制(甕棺墓、支石墓、方形周溝墓)・副葬品(玉・鏡)の差

【採点基準】
・ムラが形成され、貧富・階級差が出現したことが指摘できているか。2点+2点
・一般の墓(甕棺、方形周溝墓)とは異なった首長のための墓(支石墓、墳丘墓)が築かれ、多量の副葬品(玉・鏡)を伴うことが指摘できているか。 3点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
水利や共同労働の必要から低地にムラが形成され、余剰生産物の出現は貧富や階級の差を生じさせた。一般の甕棺や方形周溝墓とは別に、首長のために 玉・鏡などの大量の副葬品を伴う支石墓や墳丘墓が築かれた。(96字)


<004 小国の分立と邪馬台国>
1 弥生時代のムラは、やがてクニに発展し、最終的には国土統一に向かった。その過程でどのような現象が起きていたか。考古学の遺物からわかるこ とについて、次の語句を使用して100字以内で述べよ。
   使用語句=高地性集落、平形銅剣、銅鐸
★ヒント=高地性集落は抗争の証拠として使用し、平形銅剣、銅鐸は地域圏の問題を指摘するのに用いる。

水利・開発で連合→対立・抗争(高地性集落、環濠集落)
銅鉾・銅戈(北九州)
平形銅剣(瀬戸内)
銅鐸(畿内)

【採点基準】
・クニ同士が抗争を繰り広げたことを、遺跡の事例(高地性集落、環濠集落)をあげて指摘できているか。1点+2点
・共通の青銅祭器を用いた地域圏(銅矛・銅戈=北九州、平形銅剣=瀬戸内、銅鐸=近畿)ができていたことを指摘できているか。2点+2点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
ムラは対立、連合でクニに発展して争い、防御のための環濠集落や砦としての高地性集落が形成された。クニはさらに連合し、北九州に銅矛・銅戈、瀬 戸内に平形銅剣、近畿に銅鐸を共通の祭器に用いる地域圏が成立した。(100字)


2 紀元前1世紀から1世紀の日本について、中国史書はどのように記載しているか。考古学の遺物にも触れながら、次の語句を使用して150字以内 で説明せよ。
    使用語句=楽浪郡、漢委奴国王、生口
★ヒント=漢委奴国王は、志賀島出土金印を説明するのに使用する。

漢書地理志=100余国分立、楽浪郡に遣使
後漢書東遺伝(金印「漢委奴国王」、志賀島出土)=後漢に遣使(光武帝に後見を求める)、生口の献上(階級の成立)

【採点基準】
・「漢書」地理志の記述として、100余国分立、楽浪郡遣使が指摘できているか。1点+1点
・「後漢書」東夷伝の記述として、奴国王の遣使、印綬の授与、「漢委奴国王」金印の出土が指摘できているか。2点+2点+2点
・「後漢書」東夷伝の記述として、生口の献上が階級の発生と関連させて指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
「漢書」地理志は、紀元前1世紀の日本が100余国に分かれ、楽浪郡に遣使していることを記す。「後漢書」東夷伝は、1世紀の奴国王の洛陽遣使に 対し印綬を与えたことを記し、福岡県志賀島出土の「漢委奴国王」の金印がこれにあたる。また、倭国王帥升は奴隷と思われる生口を後漢に献じ、階級 の発生をうかがわせる。(147字)


3 中国史書が3世紀の日本をどのように記しているかを記すとともに、邪馬台国があった場所についての二説を説明し、それぞれの説がその後の歴史 の展開にどのような影響を与えるか、次の語句を使用して150字以内で述べよ。
    使用語句=金印紫綬、狗奴国、壱与、国土統一
★ヒント=狗奴国は、洛陽遣使と関連付けて使用する。

魏志倭人伝=邪馬台国に連合、卑弥呼の共立
卑弥呼の洛陽遣使(狗奴国との抗争)
金印紫綬、親魏倭王の称号

【採点基準】
・30余国に分立していた倭の国が、邪馬台国を頂点に連合し、卑弥呼を共立していたことが指摘できているか。1点+2点
・卑弥呼が洛陽に遣使した目的(狗奴国への対抗)と、金印紫綬を得たこと(中国権威の獲得)が指摘できているか。1点+2点
・卑弥呼の死後、倭国が乱れ、壱与が共立されたことが指摘できているか。1点
・邪馬台国畿内説と北九州説で、国土統一時期がずれることが指摘できているか。2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
「魏志」倭人伝では、倭の30余国が邪馬台国のもとに連合し、宗教的カリスマである女王卑弥呼を共立したことを記す。狗奴国との抗争を制すため、 卑弥呼は洛陽に遣使して金印紫綬と親魏倭王の称号を得たが、死後、倭は乱れ、壱与が共立された。国土統一は邪馬台国畿内説に立てば間近、北九州説 に立てば4世紀以降となる。(150字)


《2 ヤマト政権の成立と国土統一》
<005 ヤマト政権の成立>
1 副葬品や構造面に着目し、前期古墳(3世紀後半〜4世紀)の特徴と被葬者の性格について、次の語句を使用し、80字以内で説明せよ。
    使用語句=畿内、玉・鏡
★ヒント=畿内は前方後円墳の出現地として使用する。

大規模な前方後円墳(畿内に出現)
竪穴式石室(首長個人の墓)
玉・鏡の副葬=司祭者

【採点基準】
・竪穴式石室が、個人の墳墓の構造の特徴であることを指摘できているか。3点
・畿内に前方後円墳が出現したことを指摘できているか。3点
・副葬品の玉や鏡から、被葬者に司祭者的性格が見られることを指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
3世紀後半、竪穴式石室を持つ首長個人の墳墓として、畿内に大規模な前方後円墳が築かれた。副葬品は玉・鏡などの祭器が多く、被葬者の司祭者的性 格が指摘できる。(76字)


2 3世紀後半〜4世紀の朝鮮半島の情勢と、倭(日本)との関わりについて、次の語句を使用して150字で述べよ。
    使用語句=辰韓、鉄資源、七支刀、391年
★ヒント=辰韓にからめて三国時代に移行したことを記す。鉄資源は倭と加耶との関係性、七支刀は倭と百済の同盟関係の中で使用する。391年は、 倭と高句麗好太王が交戦した年である。

【採点基準】
・半島諸国の自立(三国時代の成立=馬韓→百済、辰韓→新羅、高句麗の強大化)が指摘できているか。1点+1点+1点
・鉄資源を求めて倭が加耶と関係を持ったことが指摘できているか。1点+1点
・百済と倭が同盟を結び、七支刀が伝来したことが指摘できているか。1点+1点
・391年、高句麗好太王と倭が戦って敗れたことを指摘しているか。1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
中国が南北朝時代に入ると朝鮮半島諸国が自立し、馬韓は百済、辰韓は新羅によって統一された。南部の弁韓は未統一で加耶と呼ばれ、倭は鉄資源や大 陸文化を求めて関係を強めた。強大化する北方の高句麗に備えて百済は倭と同盟を結び、七支刀が伝来した。391年、倭は高句麗好太王と交戦して敗 れ、半島から後退した。(147字)


<006 国土統一と氏姓制度>
1 副葬品や構造面に着目し、中期古墳(5世紀)の特徴と被葬者の性格について、次の語句を使用し、80字以内で説明せよ。
    使用語句=大仙陵古墳、武具・馬具
★ヒント=大山陵古墳は、巨大古墳の事例として使用する。

平野に巨大な前方後円墳(大仙陵古墳)
竪穴式石室(首長個人の墓)
武具・馬具の副葬=権力者

【採点基準】
・平野に巨大な古墳が築かれたことが指摘できているか。3点
・竪穴式石室が、個人の墳墓の構造の特徴であることを指摘できているか。3点
・副葬品の武具や馬具から、被葬者に権力者的性格が見られることを指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
5世紀には大仙陵古墳のように、平野に巨大な前方後円墳が築かれた。首長個人の墳墓として竪穴式石室を持ち、副葬品は武具・馬具などで被葬者の権 力者的性格が指摘できる。(80字)


2 5世紀のヤマト政権と地方との間には、どのような関係が作られていたか。そのことを証明する遺物をあげながら、次の語句を使用して80字以内 で述べよ。
    使用語句=ワカタケル大王、熊本県
★ヒント=ワカタケル大王がヤマト政権の王(のちに「雄略天皇」と諡号される)であることがわかると、なおよい。

埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣・熊本県江田船山古墳出土太刀
いずれにもワカタケル大王の銘=関東〜九州に協力者の存在

【採点基準】
・埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣と熊本県江田船山古墳出土太刀が指摘できているか。3点+3点
・ワカタケル大王の銘があることを、協力者の存在と結びつけて指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣と熊本県江田船山古墳出土太刀のいずれにも、雄略天皇に比定されるワカタケル大王の銘があり、関東から九州にヤマト政権 の協力者が存在していた。(80字)


3 5世紀の倭の五王について記載する中国史書を取り上げ、中国遣使の目的と成果がどのようなものだったか、次の語句を用いて80字以内で述べ よ。
    使用語句=「宋書」倭国伝、讃、ワカタケル大王
★ヒント=ワカタケル大王が武であることをうまく結びつけること。

讃珍済興武→朝鮮半島での勢力維持のため、中国南朝から官職に任じられたい。
「宋書」倭国伝=武(ワカタケル大王)の遣使→安東大将軍

【採点基準】
・倭の五王が讃珍済興武であることを指摘できているか。3点
・遣使の目的が朝鮮半島での勢力維持であったことが指摘できているか。3点
・「宋書」倭国伝で、武が安東大将軍に任じられたことが指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
讃珍済興武は、朝鮮半島での倭の勢力の承認を求め、中国南朝に遣使した。「宋書」倭国伝は、ワカタケル大王に比定される武が遣使し、安東大将軍に 任じられたと記している。(80字)


4 古墳時代の社会、政治構造について、次の語句を使用して180字以内で述べよ。
    使用語句=氏、田荘、部曲、大王、屯倉、田部、姓、大臣、大連、伴造、国造、子代・名代
★ヒント=用語を順に並べてゆけばよい。

【採点基準】
・田荘、部曲が豪族の私有地、私有民であることが指摘できているか。1点+1点
・屯倉、田部が大王の直轄地、直轄民であることが指摘できているか。1点+1点
・大王と豪族が連合し、その証として姓が与えられたことが指揮できているか。1点
・中央の職掌として、大臣・大連が政治の補佐、伴造がその他の職務を分担したことが指摘できているか。1点+1点
・地方豪族は国造に任じられ、屯倉や子代・名代を貢納したことが指摘できているか。1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
豪族は氏上と氏人で氏を構成し、田荘という土地と部曲という人々を支配した。豪族は大王のもとに連合し、その証として姓という称号を与えられてヤ マト政権を形成し、大王は屯倉という直轄地を田部に耕作させた。中央の政治は大臣・大連が補佐し、伴造に任じられた豪族が品部という服属民を率い て職務を分担した。地方豪族は国造に任じられ、政権に屯倉や子代・名代という部民を貢納した。(180字)


<007 古墳時代の文化>
1 古墳時代には日本の固有信仰が確立したとされる。何を祀り、祭りや神事がどのようにおこなわれたか、また、神がどのように語られたか、次の語 句を使用して100字以内で述べよ。
    使用語句=祖先、ケガレ、神意、予祝、旧辞
★ヒント=予祝は、将来の願いが叶うことをあらかじめ祝う行為である。

自然神、祖先神
ケガレを除いて(禊、祓)神意を知る(盟神探湯、太占)
予祝(祈年祭)と収穫感謝(新嘗祭)
神話の成立(帝紀、旧辞)

【採点基準】
・自然と祖先が神として敬われたことを指摘できているか。1点+1点
・禊、祓がケガレを除く神事であることが指摘できているか。1点+1点
・盟神探湯、太占が神意を伺う神事であることが指摘できているか。1点+1点
・重要な祭りとして祈年祭、新嘗祭があったことが指摘できているか。1点+1点
・帝紀、旧辞によって神話としてまとめられたことが指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
自然や祖先が神とされ、農耕の予祝の祈年祭、収穫感謝の新嘗祭をおこなって、禊や祓でケガレを祓った後、盟神探湯や太占で神意をうかがった。ヤマ トと地方の神々は帝紀や旧辞により体系化され、神話が成立した。(98字)


2 渡来系氏族はヤマト政権にどのように仕え、渡来系の技術部民に何があったか。また、思想面で影響を与えた大陸文化がどのように伝わったか。次 の語句を使用して述べよ。
    使用語句=弓月君、東漢氏、韓鍛治部、欽明天皇
★ヒント=欽明天皇は仏教公伝で使用する。

【採点基準】
・渡来系氏族(秦氏、東漢氏、西文氏)のルーツ(弓月君、阿知使主、王仁)と職掌(養蚕、文筆)が指摘できているか。2点2点2点
・技術系部民が3つ以上指摘できているか。2点
・儒教と五経博士、仏教と百済聖明王が関連付けられているかどうか。2点

【解答例】
渡来系氏族として、弓月君を祖とする秦氏が養蚕、阿知使主を祖とする東漢氏、王仁を祖とする西文氏が文筆で仕え、陶部や韓鍛治部、錦織部、鞍作部 など技術系部民も充実した。五経博士が儒教を伝え、百済の聖明王が欽明天皇に仏像と経典を贈り仏教が伝わった。(120字)


3 副葬品や構造面に着目し、後期古墳(6世紀)の特徴と被葬者、墳墓としての性格について、次の語句を使用し、80字以内で説明せよ。
    使用語句=群集墳、土器や日用品
★ヒント=群集墳は、円墳が多数作られたのを説明するのに使用する。

小規模な円墳、群集墳
横穴式石室(追葬可能→家族墓)
土器・日用品=有力農民

【採点基準】
・円墳が多数築かれたことが指摘できているか。3点
・横穴式石室が追葬可能であり、家族墓として用いられたことを指摘できているか。3点
・土器・日用品の副葬から、被葬者は首長ではなく、有力農民であることが指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
6世紀には密集して築かれる群集墳など、小規模な円墳が数多く登場した。追葬可能な横穴式石室を持ち、土器や日用品が副葬されているため、有力農 民の家族墓と考えられる。(80字)


<008 大和政権の動揺>
1 6世紀の蘇我氏台頭の背景、およびその過程について、次の語句を使用して100字以内で述べよ。
    使用語句=渡来人、内蔵、蘇我稲目、物部守屋、崇峻天皇
★ヒント=用語を順に並べてゆけばよい。

渡来人との結合=先進文化掌握
三蔵の管理=財政の掌握
大臣として大連の物部氏と対立(崇仏論争→物部氏滅亡)
崇峻天皇を暗殺して政治の実権握る

【採点基準】
・渡来人のと結合と財政を掌握したことが指摘できているか。2点+2点
・蘇我稲目と物部尾輿、蘇我馬子と物部守屋の対立が指摘できているか。2点+2点
・崇峻天皇暗殺が指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
大臣の蘇我氏は渡来人と結んで先進文化を導入し、内蔵・斎蔵・大蔵の三蔵を管理して財政を司った。蘇我稲目は仏教受容を巡り大連の物部尾輿と対立 し、蘇我馬子は物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺して権力を握った。(100字)


《3 律令制中央集権国家の建設》
<009 推古朝の政治>
1 推古朝の内政と外交はどのようにおこなわれたか。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=官僚制、仏教、小野妹子
★ヒント=官僚制は冠位十二階、仏教は十七条憲法の説明で使用する。

冠位十二階=個人に授与→官僚制
十七条憲法=融和、仏教重視、天皇中心
遣隋使(小野妹子)=対等外交、朝鮮半島での立場強化、大陸文化の直接導入(留学生派遣)

【採点基準】
・冠位十二階の目的が官僚制導入にあることが指摘できているか。2点
・十七条憲法の内容として、仏教重視、天皇中心ということが指摘できているか。2点
・遣隋使では対等外交を求め、その目的が朝鮮半島での立場の強化と大陸文化の直接導入にあることを指摘できているか。1点+2点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
冠位十二階を定めて官僚制の導入を図り、十七条憲法で天皇中心、仏教重視の政治理念を示して中央集権を目指した。朝鮮半島での立場の強化と大陸文 化の直接導入を企て、小野妹子を遣隋使として隋に対等外交を求めた。(100字)


<010 大化改新>
1 大化改新の詔(1〜4条)の内容について、次の語句を使用して120字以内で述べよ。
    使用語句=私地私民、戸籍、口分田、計帳、俸禄、郡司
★ヒント=私地私民は公地公民とセットで使う。戸籍、口分田は班田収授、計帳は税制、郡司は国司とセットで使う。

公地公民→人民の扱い=班田収授(戸籍による)、新税制(計帳による)、→豪族の扱い=官僚(俸禄)
中央集権→中央から国司派遣(郡司が実務)

【採点基準】
・公地公民となったことで、豪族が官僚として組織されたことを指摘できているか(俸禄制)。1点+1点
・班田収授の内容(戸籍に基づき、口分田を班給)が説明されているか。1点+1点
・新しい税制(租庸調)が導入されたこと(台帳は計帳)を指摘しているか。1点+1点
・中央集権制について、国司と郡司の関係によって説明できているか。1点+1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
私地私民制を廃して公地公民とし、戸籍で把握した人々に班田収授法により口分田を班給し、計帳により租庸調を課した。豪族は俸禄を支給される官僚 となり、地方には中央から国司を派遣し、地方豪族を任じた郡司に実務を指示する中央集権体制の確立を目指した。(120字)


<011 改新政治の推移>
1 白村江の戦いに至る過程と、敗戦の影響について、次の語句を使用して、100字以内で述べよ。
    使用語句=唐、防人、朝鮮式山城
★ヒント=戦いに至る過程は、朝鮮半島の情勢について述べる。

【採点基準】
・戦いの目的が百済再興にあったことを指摘できているか。3点
・防御体制の構築の事例(防人、烽火、水城、朝鮮式山城)を指摘できているか。3点
・飛鳥からの遷都を指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
唐・新羅連合軍によって滅ぼされた同盟国百済の再興のため、日本は朝鮮半島に出兵したが、白村江の戦いで敗れ、半島の拠点を失った。日本は防人、 烽火、水城、朝鮮式山城を築き、近江大津宮に遷都して来攻に備えた。(100字)


2 近江大津宮に遷都した後、天智天皇はどのような政治をおこなったか。次の語句を使用して60字以内で述べよ。
    使用語句=大海人皇子、近江令
★ヒント=近江令は制定が疑われていることに注意する。

【採点基準】
・大海人皇子が政治の協力者であったことを指摘できているか。3点
・初の全国的戸籍として庚午年籍が作成されたことを指摘できているか。3点
・近江令の制定の可能性を指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
天智天皇は弟の大海人皇子を協力者とし、初の全国的戸籍として庚午年籍を作成し、近江令を制定して新官制を発足させたとされる。(60字)

<012 律令国家の完成>
1 壬申の乱の原因と影響は何か。次の語句を使用し、100字以内で述べよ。
    使用語句=大友皇子、東国豪族
★ヒント=壬申の乱には皇位継承争いのみならず、中央対地方の対立が背景にあることに留意する。

大友皇子対大海人皇子
伝統豪族対東国豪族
強力な中央集権化

【採点基準】
・皇位継承争いとしての性格を指摘できているか。3点
・中央の伝統豪族と東国の地方豪族の争いでもあったことを指摘できているか。3点
・伝統豪族の没落が、天武天皇に強力な政治権力を与えることになったことを指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
壬申の乱は天智天皇の子の大友皇子と、弟の大海人皇子の皇位継承争いである。大海人皇子は東国豪族の協力で乱を制し、大友側の伝統的豪族が滅びた ことから、天武天皇として即位後、強力な中央集権化が可能となった。(100字)


2 天武・持統天皇の政治はどのようなものか。次の語句を使用し、130字以内で述べよ。
    使用語句=国史、富本銭、庚寅年籍、律令国家
★ヒント=天武・持統天皇によって律令国家が完成したことを述べる。

天武天皇=飛鳥浄御原令、八色の姓、「帝紀」「旧辞」の集成、富本銭
持統天皇=庚寅年籍、藤原京、大宝律令

【採点基準】
・天武天皇・持統天皇の政策として、飛鳥浄御原令、八色の姓、国史編さん、富本銭、庚寅年籍、藤原京(初の唐風都城)、大宝律令をあげ、律令国家 を完成させたことを指摘できているか。1点×9
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
天武天皇は飛鳥浄御原令を制定し、八色の姓を定めて皇族中心の身分秩序を築く一方、国史の編さんに着手し、富本銭を鋳造して国威発揚に努めた。持 統天皇は庚寅年籍を作成して戸籍制度を整え、初の唐風都城である藤原京に遷都し、大宝律令の制定を命じて律令国家を完成させた。(128字)

<013 律令制下の統治組織>
1 律令制の身分制度はどのようになっていたか。次の語句を用いて100字以内で述べよ。
    使用語句=五位、品部・雑戸、陵戸、五色の賤
★ヒント=五位は貴族に言及するときに用いる。

【採点基準】
・良と賤に大別できているか。2点
・良として公民、品部・雑戸、官人が区別できているか。1点+1点+1点
・五位以上を貴族として指摘できているか。1点
・五色の賤が指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
良には一般の公民と、品部・雑戸という朝廷隷属の手工業者、位を持つ官人がおり、五位以上を持つ者が貴族であった。賤には売買禁止の陵戸・官戸・ 家人と、売買自由の公奴婢、私奴婢があり、五色の賤と呼ばれた。(98字)


2 律令制の中央官制ではどのような官職が置かれ、どのような仕事をしたか。また、官位と官職にはどのような関係があったか。次の語句を使用し、 100字以内で述べよ。
    使用語句=神祇官、民部省、五衛府
★ヒント=民部省は八省の代表例として用いる。

【採点基準】
・太政官、八省(民部省と関連づける)、神祇官、弾正台、五衛府とその役務が指摘できているか。1点+2点+1点+2点+1点
・官位相当制の説明がなされているか。2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
太政官が行政を統括し、民部省など配下の八省に一般政務を分担させ、神祇官が祭祀を司った。官吏監察のため弾正台が置かれ、五衛府が宮城警固を 担った。官位に応じて官職に任じられる官位相当制が採用された。(97字)


3 律令制の地方行政区分を説明し、一般の地方行政がどのようにおこなわれていたかについて、次の語句を用いて100字以内で述べよ。
    使用語句=五畿、七道、郡司、里
★ヒント=地方行政官の任期や任用法について説明する。

【採点基準】
・五畿、七道の説明ができているか。2点+2点
・国司が中央から派遣されて任期があることが指摘できているか。2点
・郡司が地方豪族から任じられる世襲の役職であることを指摘できているか。2点
・里長が徴税をおこなったことが指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
都の置かれる五畿から全国へ七道と呼ばれる官道を設けて国を置き、中央から任期のある国司を派遣して統括させた。国の下の郡には地方豪族を世襲の 郡司に任じて実務を担わせ、里に置かれた里長が徴税を請け負った。(99字)


4 貴族の特権には経済的、身分的にどのようなものがあり、政治にどのような影響を与えたか。70字以内で述べよ。
★ヒント=政治への影響については、藤原氏を念頭に置くとよい。

【採点基準】
・食封、田地からなる経済的特権が指摘できているか。1点+1点
・刑罰減免、蔭位の制の身分的特権が指摘できているか。1点+1点
・蔭位の制が貴族の地位の世襲につながったことが指摘できているか。2点
・貴族地位の世襲が、特定の名族が政治を支配することにつながった点を指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
貴族には莫大な食封と田地が支給され、刑罰減免などの特権があった。その地位は蔭位の制によって世襲されたため、特定貴族の政治支配につながっ た。(69字)



<014 律令制下の農民>
1 班田収授法とはどのような制度か。モデルとなった制度、面積にも触れ、50字以内で述べよ。
★ヒント=なし

【採点基準】
・唐の均田制が指摘できているか。3点
・男と女の班給面積が指摘できているか。3点
・6歳で班給され、死後収公することが指摘できているか。3点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
唐の均田制をモデルとし、6歳以上の男に2段、女にその3分の2の口分田を班給し、死後、収公する制度。(50字)

2 律令制下の農民の租税負担にはどのようなものがあったか。数量や納付先、負担者にも注意しながら、次の語句を用いて120字以内で述べよ。
    使用語句=国衙、運脚、正丁
★ヒント=漏れのないように注意したい。

【採点基準】
・租=2束2把、国衙納付が指摘できているか。1点+1点
・庸=労役10日、布2丈6尺が指摘できているか。1点+1点
・調=地方産物納入が指摘できているか。1点
・庸調が中央の財源であったことが指摘できているか。1点
・雑徭=労役60日、地方で負担が指摘できているか。1点+1点
・正丁中心の人頭税だったことが指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
税負担には口分田の班給を受けた者が段あたり稲2束2把を国衙に納める租、中央での労役10日または布2丈6尺を納める庸、地方産物を納める調、 国衙で労役60日を負担する雑徭があった。庸調は運脚で中央に運ばれ、庸調・雑徭は正丁中心の人頭税であった。(120字)


3 律令制下で、本来の目的を離れて農民の雑負担となったものにどのようなものがあり、兵役はどのように負担されたか。前者は本来の目的にもふれ ながら、次の語句を用いて100字以内で述べよ。
    使用語句=正丁、自弁、衛士
★ヒント=「本来の目的を離れて」とあるので、運脚、仕丁には言及しない。

【採点基準】
・義倉、出挙が、制度の目的と合わせて指摘できているか。2点+2点
・兵役について、正丁3人に1人、武器食糧自弁、軍団での訓練のことが指摘できているか。1点+1点+1点
・衛士、防人について指摘できているか。1点+1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
雑負担には凶作用穀物の備蓄が付加税化した義倉、稲の貸付制度が強制化した出挙があった。兵役は正丁3人に一人の割合で、武器や食糧自弁で各国の 軍団で訓練を受け、宮城警固の衛士、九州警備の防人となる者もいた。(100字)


<015 平城遷都と律令国家の充実>
1 8世紀初頭における、律令制中央集権国家の充実ぶりについて、都城、貨幣、史書編さんの視点から、次の語句を用いて100字以内で述べよ。
    使用語句=天子南面、皇朝十二銭、六国史
★ヒント=「天子南面」は中国皇帝が都城の北端で執政をする習わしである。

【採点基準】
・平城京が唐の長安をモデルとし、「天子南面」をかなえるものだったことが指摘できているか。2点+2点
・和同開珎が皇朝十二銭の最初であることが指摘できているか。2点
・「日本書紀」が、六国史の最初となる正史であったことを指摘できているか。1点+2点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
710年、元明天皇は平城京へ遷都し、唐の長安をモデルに「天子南面」を実現した。皇朝十二銭の最初となる和同開珎を発行し、天皇権威の高揚のた めの正史として、六国史の最初となる「日本書紀」を編さんした。(98字)


2 7〜8世紀における、日本の東北地方、西南地方への中央政府の勢力拡大について、次の語句を用いて120字以内で述べよ。
    使用語句=粛慎、多賀城、掖久
★ヒント=東北地方については、勢力拡大のための拠点について指摘する。

【採点基準】
・7世紀の渟足、磐舟柵の設置、阿倍比羅夫の遠征が指摘できているか。2点+2点
・8世紀の日本海側での出羽国設置、太平洋側での多賀城鎮守府設置を対比的に指摘できているか。1点+2点
・隼人攻略と大隅国設置、種子島・屋久島の入貢を指摘できているか。2点+1点

【解答例】
東北の日本海側には7世紀に渟足、磐舟柵を設置し、阿倍比羅夫が遠征し、粛慎と戦った。8世紀には出羽国を置いて支配したが、太平洋側は勢力伸長 が難しく、多賀城に鎮守府を設置した。九州では南部の隼人を攻略して大隅国を設置し、多褹、掖久まで従えた。(119字)


3 7〜9世紀頃、日本は大陸の国々とどのような外交をおこなったか。目的や影響にもふれながら、次の語句を用いて150字以内で述べよ。
    使用語句=北路、元昉、遣新羅使、渤海
★ヒント=北路は、それとセットの用語を用い、両者の変遷とその背景も記述する。

【採点基準】
・唐には遣唐使が派遣され、目的は先進文化移入と支配者の権威補強にあったことが指摘されているか。1点+1点
・遣唐使のルートが新羅との関係悪化を背景に、北路から南路に変わったことを指摘できているか。1点+1点
・遣唐使の帰国者が政治や文化で活躍したことが指摘できているか。2点
・新羅とは対抗関係にあったが、遣新羅使が派遣され、私貿易がおこなわれたことを指摘できているか。2点
・渤海とは、唐や新羅けん制など外交上の目的で関係が作られていたことを指摘できているか。1点
・文章力(わかりやすさ)1点

【解答例】
唐には大陸の先進文化移入と、支配者の権威補強のため、定期的に遣唐使を派遣した。新羅との関係悪化後は北路から危険な南路をとったが、元昉や吉 備真備など、帰国者は政権中枢で活躍した。新羅とは対抗関係にあったが、遣新羅使が派遣され、私貿易は盛んだった。渤海は唐・新羅けん制のため来 日し、貿易もおこなわれた。(149字)