6 政党政治の確立と資本主義の行き詰まり
<恐慌と階級闘争の激化>
[不況下の20年代]

  大戦景気の反動恐慌

・資本主義は個々の企業が勝手に経済活動を起こす。社会全体としての計画性がないまま でモノを生産してゆくので景気変動がある。
・新製品が出るとみんなが買う。よく売れるので景気が良くなる。そのうちに売れ行きが鈍り、滞貨が発生する。この時は売れ残りをさばくために価格を下げ る。儲からなくなるので景気が悪くなる。場合によっては労働者がクビになることもある。そのうちに滞貨は一掃され、景気は回復する。この繰り返し。
・徐々に売れ行きは鈍くなるのだが、ある日を境によく売れたものが突然売れ なくなることがある。こうして起きるのが恐慌。恐慌はpanicの訳である。企業は操業短 縮・解雇をし、資本減少を経て甚だしければ倒産する。突然くるから対処ができない。儲かっていると思っていた企業に貸付をしていた銀行が連鎖倒産し、市民 の預金も戻らなくなる。

Q1 恐慌を回避する方法は何か?

A1 政府の財政出動がおこなわれる。

・政府の働きで景気を下支えするのはケインズの理論である。しかし、これは世界大恐慌 を経験したアメリカでようやく実行された理論であり、この時期の日本は無防備だった。また、日本は購買力が低く国内市場が小さいため、作りすぎをさばくこ とが難しい体質だった。このために、資本主義がある程度に発 達した1920年代の段階で、繰り返し恐慌に見舞われることになる。
・景気の山が高ければ、その分だけ底も深くなる。1920年代には4回の恐慌があり、異常な状態だった。

 戦後 恐慌(1920)=過剰生産による価格暴落

・株、米価、綿糸価格の暴落。一挙に3分の1になる。貿易商、製造業、銀行の倒産。

 震災恐慌(1923)=関東大震災による京浜地区壊滅

関東 大震災は1923年9月1日、午前11時58分、相模湾北部で地震発生。マグニチュード7.9。小田原では8〜9割の家屋が倒壊した。しか し、東京 の山の手の倒壊率は1割、下町で2割5分に過ぎなかった。多くの死者は火事の犠牲者。昼食の準備中の地震であり、七輪の火などの上に天井が落ちてきた。す ぐに火事が起き、134カ所のうち、消せなかった77カ所が燃え広がる。低気圧が通り、風速10メートルの南風。死者・不明10万2千人。特に本所被服廠 跡の空き地に逃げ込んだ人たちは周りを火に囲まれ、持ち込んだ荷物に火がついて3万8人が焼け死ぬ。東京の死者の4割がここに集中している。
被害総額100億円以上。

 金融恐慌(1927)=金融不安による銀行企業倒産

・関東大震災後、政府の指導もあり、銀行がつぶれそうな企業にお金を貸していた。企業 はなかなか業績が改善せず、銀行は借金が回収できない。銀行もお金を取り戻せずにつぶれる恐れ。その前に預金を引き出しておこうとして取り付け騒ぎが起こ り、本当に銀行がつぶれてしまった。これが金融恐慌である。

 世界 大恐慌(1929)=過剰生産によるアメリカ経済の破綻

・永遠の繁栄を続けていたアメリカの経済が過剰生産によって破綻して世界大恐慌が起きる。アメリカに貿易を依存していた日本はまともにこの 影響を受ける。失業者100万人とか300万人とされる昭和恐慌が起きる。

  →世界への波及
 ∴失業、倒産拡大→企業の集中で独占資本形成
  (4大財閥、5大銀行による日本経済の支配)

・失業と倒産は、企業の集中独占を招く。これで4大財閥、5大銀行が日本経済を支配するようになり、独占資本主義の段階に入った。 一部の者に富が集中して階級が発生し、固定されてゆく。その結果、搾取され る階級の者は階級闘争をおこなって抵抗する。

[階級闘争の激化]
A 労 働運動
   友 愛会(1912、鈴木文治=労資協調)

・1912年、東京芝の教会の会館で友愛会が発足鈴木文治は東大出の法学士で、生活相談などにのっていた。機械工、電気 工など、15人で始める。団結禁止法のもとで親睦団体としてイギリスで作られたフレンドリー・ソサイェティに因んで友愛会とする。
・互いに修養して技術を高め、資本家と協力して地位を高め、産業発展に貢献する。渋沢栄一など学者や名士をたくさん顧問にした。
・法律相談、医療、貯金などの活動をし、休日には講演会を開いた。会員数6500人。
・この頃は景気が悪く、資本家も困っていた。労働者と資本家が提携すること が求められていた。

Q2 大戦景気の時期に友愛会は労資協調を捨てた。なぜか?

A2 大戦景気では資本家が利益を独占し、労働者に還元しなかったからである。

    争議の指導に重点を置くように変化

・鈴木は、日本人移民排斥をアメリカの労働団体がおこなっているため、解決のために渡 米した。団結権とスト権が必要であることを感じて帰国。1917年、体制を変えてゆく。この頃の会員は2万人。
・1919年、大戦が終わって景気が悪くなると、労働者の待遇改善がいっそう必要になった。友愛会の関西同盟が労働三権(団結権、団体交渉権、争議権)を要求し、治安警察法第17条の撤廃を求めた。 7周年大会で大日本労働総同盟友愛会となり、国際労働九原則を並べた。
1919年、川崎造船所で賃上げ闘争が起きる。ストは禁止 なので「サボる」=サボタージュすることにした。8時間労働となり、賃金は従来通り支給とされたので、実際には10時間労働なので残業がつき、労働者の勝利に終わった。
1920年、八幡製鉄所で1万3千人のストが起きた。「溶 鉱炉の火は消えたり」と言われ、12時間2交代制が8時間3交代制になった。これで労働者は自分たちの力を自覚するようになる。労働者が働かなければ資本 家はつぶれるのである。

Q3 労働者の祭典として5月におこなわれるものは何か?

A3 メーデーである。

      cf)第1回メーデー(1920)

・1920年、第一回メーデー。上野公園に4千人が集まった。

  →日本労働総同盟(右派、1921)

1921 年、友愛会は日本労働総同盟と改称。不況の中で先鋭化し、川崎・三菱造船所の争議では4万人のデモ隊が8キロ連なる。
治安警察法第17条は、1926年に撤廃される。

B 農民運動
   日 本農民組合(1922、賀川豊彦)
    小作争議(小作料減免)を指導

小作 人の待遇改善のため、賀川豊彦が日本農民組合を結成する。1922年に235人で発足。初期は友愛会と同じで地主との協調路線。これが 1924年には5万8千人となる。
・小作料を負けろという小作争議を指導。演説会、ビラ、集団 交渉、デモ、地主と結ぶ商店の不買運動、小学校の同盟休校、小作米を納めないなどの闘争も指導する。
・地主が督促状を出しても言うことを聞かず、裁判所に訴えられれば日本農民組合が法廷闘争を支援。

C 部落解放運動
   全 国水平社(1922)=部落差別の撤廃を要求

・明治の解放令以後もエタや非人の子孫への差別が残存。1922年3月、京都で全国水平社が創立された。全国6000部落、300万人の部落民の代表 2000人が集まる。
・日本の人権宣言とされる水平社宣言を出す。「祖先はケモノ の皮をはぐ代償として人間の皮をはがれ、唾をかけられてきた。しかし、それは産業的殉教者であ る。エタであることを誇るときがきた。人の世の冷たさを知っている我々は、心から人生の熱と光を求める。人の世に熱あれ、人間に光りあれ」。
差別撤廃の闘争をおこなう。差別に対して徹底糾弾、大挙し て押し掛けて謝罪を要求する戦術。しかし、水平社は怖いという認識を作ってしまう。このため、部落に対す る差別は、労働者や農民の下にいっそう低い階層をおいておくことが資本主義にとって有益だから残されているとして、貧富の差からくるあらゆる差別をなくす 必要があるという路線に転換する。無産階級運動の一つとして連帯してゆく方向へ。

D 婦人解放運動
   新 婦人協会(青鞜社、1920、平塚雷鳥、市川房枝)
    婦人参政権の獲得を目指す

前身 の青鞜社は雑誌「青鞜」を出す一流の女性文学者の会。「元 始、女性は太陽であった。今、女性は月である」。「女流文学の発達を計り、他日女流の天才 を生まむことを目的とす」。青鞜はブルーストッキングの訳で、18世紀イギリスのサロンで、芸術や科学を論じた新しい婦人がブルーの靴下をはいたことから つけた。何か新しいことを始める婦人を馬鹿にして呼んだものでもあり、平塚は何か言われるに違いないと思い、先手を打ってこの名を付けたという。
・女は黙って家にいろという、家父長制的な世の中に対して、反旗を翻す。
・平塚は「中央公論」婦人問題特集号に「新しい女」と名乗りを上げて、結婚制度に反抗して「若いツバメ」と共同生活をした。中央公論社は「婦人公論」を創 刊している。
・伊藤野枝は親の決めた結婚に反対。上京して「青鞜」に入って同棲し、足尾銅山鉱毒事件にのめり込んだため夫と分かれる。アナキストの大杉栄に接近した 人。
・「青鞜」は解散したが、1920年、友愛会にいた市川房枝と新婦人協会を 始める。治安警察法第5条の婦人の政党加入、集会参加禁止を改めるよう運動開始。
1922年、女性の集会参加は認められる。この後、婦人参政権獲得の運動に発展。社会主義を目指す女性は赤瀾会を作る。

Q4 階級闘争でもっとも裾野の広かったのは何か?

A4 普通選挙運動である。

E 普通選挙運動
   無産階級の参政権獲得目指す国民運動
    →無産政党 ex)労働農民党

・普通選挙運動は大正デモクラシーの象徴。1920年は普選運動の最高潮期。2月に東 京で7万5千人のデモ。憲政会・国民党が普選法案を提出している。
1925年には普通選挙法が成立し、労働者、農民の代表者 を国会に送るために無産政党を作る必要が出てくる。1926年、無産政党と して労働農民党が結成される。

F 日本共産党の結成(1922、堺利彦、山川均)
   cf)日本社会主義同盟(1920)

・1910年以降、「冬の時代」となっていた社会主義運動が、1919年頃から復活し てくる。山川均などが友愛会、新人会などの社会主義者を結集して日本社会主 義同盟を作る。1000人が申し込むが弾圧されて結社禁止。
・1922年7月、共産党が秘密裏に結成された。11月のコ ミンテルン第4回大会で日本支部として承認される。1923年に党員58人。各組織の指導分子の集まりで、それぞれが階級闘争の組織内で指導者となってゆく。細胞と称し、これが 増殖すれば大きな運動になる。非合法のため、党としての指導能力は発揮できなかった。

   革命による社会主義への移行目指す
   コミンテルンの指導で階級闘争をリード

・コミンテルンは共産主義インターナショナル。世界の革命運動の単一指導部。日本共産 党のために27年テーゼ、32年テーゼを出す。
・32年テーゼはコミンテルンが出した日本共産党の綱領で、満州事変の勃発 を受け、天皇制国家機構を壊すことが革命運動の第一歩とした。

     but秘密結社であり弾圧される

Q5 階級闘争、社会運動を弾圧するにはどのような方法が効果的だったのか?

A5 アメとムチである。この手法で階級闘争をしている者を分裂させればよい。

・そうしなくても、勝手に分裂していった。労働戦線は分裂の要素を常に持っていた。その例がアナ・ボル論争である。

※左翼運動の分裂=弱体化し抑圧される
  cf)アナ・ボル論争

・アナルコ・サンジカリズムは、サンジカリズム(急進的労働組合主義)とアナーキズム (無政府主義)が合体したもの。
サンジカリズムはストやサボによって社会を麻痺させて社会主義への移行を 目指すもので、フランスに発生し、幸徳秋水などが唱えていた。
アナーキズムは無政府主義で、一切の権威を否定して自由人の結合による理 想社会を作るという考えで、大杉栄が唱えた。
・政党の指導や議会を認めずに労働組合の力で資本主義を倒し、その後も国家 を作らないで労働組合が生産と分配をするというものである。これが労働運動の指導者たちには浸透していた。
・これに対し、ロシア革命の成功で、ボルシェビズムが台頭し た。レーニンの理論であり、ロシア社会民主党大会でレーニン派が多数(ボルシェビキ)になったため、こう呼ぶ。
革命の達成にはプロレタリア独裁をおこない(労働者と農民 による大衆組織を作る)、これを指導する活動的で訓練された闘士が作る前衛 党が必要とするも の。前衛党=共産党。ロシアはこれで革命に成功したのであり、サンジカリズムは実現不可能なものとして衰退することになる。
・1922年、労戦統一を図るためにおこなわれた全国労働組合総連合結成大会では、反対にどっちの路線を取るかで論争が頂点に達し、大会は決裂して解散する。

  総同盟の分裂=左派が日本労働組合評議会結成(1925)

・山本内閣は震災による失業者を焼け跡片づけなどに積極的に雇用したり、総同盟に資金 を出して宿泊所を経営させたりした。また、普通選挙実行を約束したり する。さらに、清浦内閣は、それまでは政府が任命していた国際労働会議の代表について、組合員1000人以上の組合から代表を出してよいとした。このた め、議会を通じて労働者の権利拡大を考える動きが総同盟の中に進み、右派を 形成した。これに対し、共産党に接近してあくまでも革命を目 指す者が左派となる
総同盟は1925年、議会主義をとる右派と共産主義の左派に分裂。左派は 日本労働組合評議会を結成。同盟側35組合、評議会側32組合。労働戦線は真っ二つとなった。

[ファシズム思想の発生]
  階級闘争の激化=革命の危機

1930 年代には革命が起きると考えられていた国民は漠然とした不 安を持つ。こういう時にファシズムが出てくる。

  暴力による反革命(右翼・軍部)
    ex)大杉栄暗殺、

暴力 的に革命の可能性をつぶし、国民の不安を取り除く政策が出現する。
大杉栄は震災の見舞に伊藤野枝と出かける。その帰りに行方 不明となる。甘粕正彦憲兵大尉が拘束し、一緒にいた野枝と6歳の甥とともに殺害して古井戸の中に捨てて煉瓦で埋めていた。
・軍法会議にかけられるが、甘粕の個人的仕業として処理される。懲役10年。しかし、3年で出て、満州に行って活躍している。
・3人の葬儀がおこなわれる際、右翼に遺骨が盗られる。写真を代わりに告別式をするが、「無政府主義万歳」を叫んで警官に解散を命じられる。

      三・一五事件(1928)

三・ 一五事件は田中内閣の共産党弾圧事件。1925年頃には共産党の存在が知られる。これに備えて治安維持法を出している。普通選挙法に基づく 最初の選挙で、共産党が活動開始。選挙後に弾圧される。

  猶存社の活動

・日本の右翼で有名なのは玄洋社(大隈の襲撃)、黒竜会(韓国併合の推進)。大陸浪人 を生み出し、侵略の露払いとなって政治工作をおこなう。
・こういう中から国内改革を目指すファシズムの考え方が第一次大戦後に出てくる。1919年、猶存社結成。大川周明が作り、上海で中国革命に関わっていた北一輝を加える。

   (大川周明、

世界 の現状はアングロサクソンの世界制覇。アジアの諸民族は搾取されている。アジアの民族運動を高揚させてこれと対決するため、日本はその盟主となるべき。

     北一輝)、「日本改造法案大綱」

・北は五・四運動で批判の矛先が日本に向けられたことにショックを受け、日本の改造を 考える。「国家改造案原理大綱」を出し、後に「日本改造法案大綱」と なる。
・北は、小領土しかない日本は「国際的無産者」であり、「国際的富豪」のアメリカや「国際的大地主」のイギリスと戦う権利があると した。そうして、英露をアジアから排除して日本を盟主とする大アジアを作 る。そのために国内では天皇を奉じた大改革をする必要があるとした。
・改革として、華族や貴族院のような特権階級を廃止する。300万円以上の財産を禁止する。大企業は国営化する。労働時間は8時間とし、利益の半分は労働者に配分する。25歳以上の男子には選挙権を与える。

Q6 この改革についてはどんな印象を受けるか?

A6 社会主義の主張と同じである。

Q7 目指すものが似ているのに、ファシズムは共産主義を敵にしている。どうしてか?

A7 大きく違うのは、これらは天皇の力(=戒厳令)によって改革が実行さ れるという点であり、天皇制は全く否定していない。天皇制を否定して労働者階級による革命で実現しようとする共産主義とは異なる。

Q8 ファシズムの主張は、国内の特権階級をなくして平等にし、アジアの人を搾取して いる米英を追い出そうというものである。問題があるとすればどこなのか?

A8 米英に替わって日本がアジアの盟主となる点である。支配されるアジアの人にとっては、支配者が替わっただけのことである。これでは支持されない。

・猶存社は1923年に解散するが、思想を広めた点で重要。「日本改造法案 大綱」は、軍部ファシズムのバイブルとなる。


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