14 幕藩体制の動揺と政治改革
<幕藩体制の動揺>

[農村 の変化](18C〜)
A 本 百姓層の解体
   農村への貨幣経済流入→貧富の差生じる

商品 作物栽培が始まり、金肥を使ったりすると自給自足経済だった農村に貨幣経済が入り込む。金は蓄えることができ、人に貸して儲けることもでき る。貯蓄高の大きな者とそうでない者との間に貧富の差が生じる。

Q1 ここに凶作、飢饉が起きた場合、打撃の大きな者はどちらか?

A1 貧しい者である。

   凶作、飢饉の頻発 ex)三大飢饉(享保、天明、天保)

・江戸時代は世界的に気温が低下傾向にあった。このため、凶作は近世で100回以上あ り、3年に一度は不作ということになる。餓死者が出る飢饉は近世で35回。大飢饉は21回。特に大きなものを三大飢饉という。
享保の大飢饉は1732年、イナゴが九州・四国で大発生。 一夜で稲を食い荒らした。半作の藩は46藩。餓死者1万2000人。
天明の大飢饉は1782〜87年までの6年連続の大飢饉。 1783年に浅間山が噴火し、120キロ離れた江戸でも3センチの灰が積もる。大気圏を浮遊する火山灰のため、太陽が遮られ、夏の土用でも綿入れが必要な 冷害となる。東北ではヤマセの吹く冷夏が続き、津軽藩では10カ月で藩人口の半分13万人が餓死する。仙台藩の餓死者は40万人という。
天保の大飢饉は1833〜39年までの長期にわたった点で 近世最大。長い年月、冷夏が続いて100万人が死んだという。

Q2 これで農村は荒廃してゆく。江戸時代の人口は3000万人から増えなかった。ど うやって増やさなかったのか?

A2 生まれてすぐ殺されるのである。間引きと称した。

   →農村荒廃(cf)間引き)

・女子を間引く。生後すぐに膝でのって圧殺したり窒息死させた。群馬の山奥では障子紙 二枚を濡らして口とお尻を塞ぐ。
・堕胎も頻繁におこなわれた。腹に乗る。おろし薬を飲む。ホオズキ、醤油など。
・佐藤信淵の間引きの記述によれば、上総国10万の農家のうち、年に2〜3万人が間引かれるとする。出生児の半分は間引いたとされる。

   =富 農の土地兼併(地主、小作への分解)

・食べ物がなくなった農民は借金で食べる。返せなければ借金のかたに土地を取られてし まう。

B 寄 生地主の発生(←地主手作)

・土地を集めた地主は初めは自分で使用人を雇って耕していた。しかし、たくさん集める と自分では面倒が見られなくなり、小作に出すようになる。

   高額小作料徴収による中間搾取

年貢 は収穫高の4割だったが、小作料は5割を取られる。地主はこのうちの4割を年貢で払うので、手元に1割が残る。この分は、上手に取ればお上 の懐に入ったはずのものである。

    →小作を圧迫=一揆の原因、都市流入で浮浪者化

C 問屋商人の農村侵入、寄生地主の在郷商人化
   小作層の労働力を搾取

問屋 商人は農村の百姓を問屋制家内工業の労働力とする。また、地元の寄生地主も、余った米で酒屋などを営み、肥料商を兼ねて在郷商人となる。 そのうちには機屋なども手がけて小作に内職をさせ、金を貸して返せなければ 土地をせしめてゆく。有松の絞り問屋などがその例である。
・資本家と労働者という、支配・被支配の関係が成立してゆく。

    cf)年季奉公

・江戸時代には、今と違って労働に対しての対価を賃金で受け取るという慣習がきちんと していなかった。商家では10〜15歳で丁稚に上がり、お仕着せと小遣いだけで使われる。仕事を覚えてゆくと手代に出世し、番頭になって店を取り仕切る。 選ばれた人間は別家して独立。この時に資金をもらう。誰もが別家までたどり着けたわけではなく、ドロップアウトするものが多数を占める。
・職人の場合も商家と同様で、親方のもとで修業し、一人前になるまでは雑用をしながら仕事を覚える。商家も職人も、仕事を教えてもらうのが目的であるた め、給金はない。
・召使いや女中などの仕事も同様で、給金を前金でもらい、あとは住み込みで食べさせてもらえばただ働きになる。これを年季奉公と呼び、10年が限度だっ た。やめたくてもやめられないので奴隷のようなものである。
・宿場のそばでは旅籠に飯盛り女に出されることがあった。お勝手を手伝いながら、お客をとって売春をすることが多く、中には売春専門でたくさんの女性を抱 える宿場もあった。御油、赤坂や岡崎女郎衆が有名で、鳴海でお鶴、熱田でお亀と呼ばれた人たちも同じである。7歳で宿屋に奉公し、仕入れ値は12両くら い。1両は米1石が買える値段なので6〜10万円程度、12両だと120万円くらいになる。大きくなるまでは雑巾がけなどの雑用でこき使われる。12歳く らいから客を取るようになる。平均死亡年齢は20歳。
・赤坂宿には飯盛り女の墓が残っているが、戒名も短く粗末なもの。イチビキで働いていた人のものともいい、そこが供養をしている。

[一揆の発生]

・278年間に百姓一揆は3212件。毎年、10件が起きている。村方騒動3189 件、都市騒擾488件。合計で6889件。
・時代によって形態が異なる。

1 代 表越訴一揆(初期)
   村役人による越訴(大名・代官の圧政に対する) ex)佐倉惣五郎

代表 越訴一揆は百姓の代表が領主に直訴するもの。訴える時は直接の担当者におこなうのが筋だが、それを飛び越えて上司に訴えることがある。言う ことを聞いてやる代わりに直訴者は処刑される。多くの場合、義民として祭られる。
佐倉惣五郎が有名。堀田正信の年貢が高かったため、佐倉藩 200か村を代表して家綱の寺参りに際して篭訴をする。年貢は減免されたが一家4人が処刑されたという。伝説上の人物かとも言われたが、名寄帳が発見され て実在の人物であることが確認される。今も宗吾霊堂で祀られている。
・磔茂左衛門は上野の百姓。真田氏の悪政を将軍に直訴した。真田氏は所領没収。茂左衛門は磔。

2 惣百姓一揆(享保、18C〜)
   村役人の指導で一般農民が武装蜂起(年貢減免要求)

・そのうちに代表が越訴をしても願いは聞き届けられず、代表が処刑され、願いは聞き届 けられないようになった。武士が年貢減免に応じられなくなったため。
惣百姓一揆は筵旗を立て、鍬を持って代官所に押し掛けるもの。 村寄合で一揆が決まれば連判状を作成する。

Q3 首謀者がわからないようにするにはどうするか。

A3 傘連判にする。

・回文をまわして竹槍、鍬などの武器、兵粮を準備。顔を鍋墨で汚したり頬かむりをして 河原などに集合。襲撃対象は代官所、高利貸しなど。集団で遠巻きにして圧力をかけたり、実際に打ちこわして要求を通したり。最後は指導者が直接交渉をし、 要求を呑ませたあとで処刑される。
明和伝馬騒動は幕府の中山道助郷役拡大計画に反対したも の。1764〜65年にかけ、20万人が上野、下野、武蔵、信濃から江戸に乱入を計画。途中で商家の打ちこわしなどを進めたために幕府は計画を撤回した。
大原騒動は天領飛騨の代官・大原氏を糾弾したもの。大原氏 は郡代に出世するために飛騨の検地をして実際よりも石高を上げる。これに対して百姓たちが 1771年から強訴を始める。一度は要求を呑むとして騙されて鎮圧されるが、その後、幕府の役人に直訴。1789年に大原郡代は失脚。

3 世直し一揆、村方騒動(幕末、19C〜)
   貧農による豪農襲撃(小作地返還要求)

・幕末近くになると村役人は一般百姓の味方でなくなる。この層は土地を集積して地主に なり、他の農民を支配するようになっている。広がった経済格差をなくすこと を世直しと呼び、世直し一揆が起こされる。
・世直し一揆の初めは三河加茂一揆。1836年、年貢相場引 き下げ、物価値下げを要求して1万数千人が足助の在郷商人を襲う。主謀者を捉えて蜂起の理由を問い質したところ、「世直し」のためと答える。「世直し」の 初見。
村方騒動は村役人の年貢割付にからむ不正を小前百姓が追及したもの。

※近世 を通じ3000件の一揆=幕藩体制動揺促す
  cf)打ちこわし(都市暴動、米屋、酒屋襲撃)

[幕府・藩財政の窮乏]
  文治政治による支出拡大のため=有効な対策なし

・米沢藩の上杉氏は参勤交代で貧乏になった。上杉治憲は嘆いた。「悪いことをしていれ ば経済的に苦しくなる。しかし、恥ずかしいことは何もしていない。衣服、食料費は5分の1に減らした。女中は50人を9人にした。役人もよく働いている。 それでも赤字になってゆく」。
・八戸藩の場合、豊作の年の収入は4115両、支出は5366両。

A 半知、借上(家臣の禄高の借り上げ)
   家臣の窮乏→借金、内職、武士身分売却

大名 は半知、借上と呼ぶ家臣の禄高の支払い停止でしのぐ
・「槍一筋の武士」と威張れるのは100石取り。手取りは30石。1石を6万円で換算すると年収180万。これが武士の平均である。自分たちだけで食べる のはできる。しかし、下男、槍持ち、女中を置かないと体面は保てない。これで給料カットになったのではたまらない。
・武士は内職に励むことになる。傘張り、表具、筆作りなど。名古屋扇子などは尾張藩士の内職で盛んになったもの。奥さんは機織りの内職も始める。こけしな どの民芸品は、ほとんどが武士の内職として始まったもの。
・武士が持っている唯一の財産は身分である。商人は経済力があっても苗字帯刀の特権がない。身分を売ることがおこなわれる。方法は商人を養子に取ることで ある。
・士分売却の相場は馬に乗れる与力で1000両。馬に乗れない御徒は500両。1両は米1石が買える金額なので、6万円から10万円。1000両ならば1 億円が士分の売却金額である。
・士分売却は武士としての権威の失墜を意味し、封建制維持が困難となる。

B 町人からの借金(大名貸)

・町人から金を借りてしのぐこともある。大名貸の利息は年3〜4%で比較的安い。それでも三井は厳禁していた。 金額が大きいため、踏み倒されてつぶれてしまう可能性が大きい。三井のデータでは、50家がつぶされたという。危険な大名はブラックリストに載るようにな る。
・「世事見聞録」の記述にこんなのがある。武士が借金をしに来たとき、商人は「金を借りる側が威張っているのは何事か」と言ったという。また、「もしも返 せないときはどうしてくれるか」「腹を切って責任をとる」「そういう風だから貸せない。たくさ んの金を借りて、返せなければ腹を切ればよいと簡単に言う者に、大事な金を貸せるはずがない」と言われたという話もある。武士が商人にかなわなくなってい るのである。

※抜本 的な政治改革必要

目次に戻る   トッ プページに戻る

Copyright(C)2006 Makoto Hattori All Rights Reserved