<室町期の経済の発展>
[産業の発達]

A 農業

・室町時代には農業はいっそう発展し、食糧生産は倍増している。耕地面積は平安時代中 期が86万2000町歩であるのに対し、室町時代初期は94万6000町歩でほとんど増えていない。

Q1 耕地面積が増えないのに食糧増産につながった主な理由は何だったか?。

A1 多肥多毛作である。

   二 毛作普及

・平安時代は「年荒」が必要で、1年作ると翌年は休耕にして地力を回復させていた。室 町時代では「年荒」が必要ではなくなり、「十年二十作」といわれるように、 米+麦の二毛作は関東まで普及した。近畿や瀬戸内では三毛作もある。
・「老松堂日本行録」は朝鮮の宋希ケイ(王偏に「景」)が1420年、義満が倭寇禁圧を約束した答礼使として来日した時の記録である。彼は尼崎付近で驚い ている。「尼崎に宿る。日本の農家は秋に耕して大麦、小麦を蒔き、明年の初夏に収穫し、そのあとに稲の苗を植え、初秋に収穫し、また、ソバを蒔き、初冬に 収穫する。このように一つの水田で一年に3種類も収穫できるのは、川をせき止めて水を蓄えて水田としたり、水を落として畑にしているからである」。この背 景には灌漑の充実と肥料の普及がある。

   品種選択(生産量の増大)

・品種改良も重要で、耕地の状況、二毛作の状況で使い分ける。

Q2 現在作られている多くの稲は、いつ田植えをして刈り取っているか?。そういう稲 を何と呼んでいるか?。

A2 5月初めの田植え、9月末の刈り取りである。早稲という。

・米には6月末に田植え、11月末に刈り取りの晩稲があり、その中間の中稲もある。

Q3 現在、早稲が多いのはなぜか?。二毛作をするには早稲と晩稲とどちらがよいの か?。

A3 米は端境期に高く売れるので早稲が儲かる。しかし、二毛作だと麦を作らなくてはならない。5月初めの田植えに間に合うように麦を刈り入れることはで きないので晩稲を植える。

・尾張西部中島郡の事例だと、6月初旬から小麦を刈り取り、田起こしをして引水する。 小麦を刈ったあとに畦豆を植える。6月下旬に田植え(晩稲)をし、この間に麦の乾燥と脱穀になる。稲は11月に刈り取る。霜が降りる頃まで稲があることも あった。

   灌漑(水車、竜骨車)、

・1429年、朝鮮使節・朴瑞生は近畿地方の農村で運河より水田へ水を汲み上げるのに 自転の揚水車を使っているのを見て驚いた。朝鮮では人力の揚水車はあるが、水力だけで揚水するものは初めて見る。模型を作らせて朝鮮国王に献上し、普及を 呼びかける。
・自転揚水車は水の流れを利用して水車を廻し、羽根につけた桶で水を汲み上げ、上部の樋に流す。理論上は水車の半径の高さ分だけ汲み上げられる。
・竜骨車はエスカレーター状の道具で、ハンドルを回して水を高いところに揚げる。

   肥料(下肥、草木灰)の進歩(入会地管理の重要性→惣の形成)

・下肥は速効性で追肥用。遅効性の草木灰を最初に施す。
肥料は山野で取る。鎌倉時代までは名主が山野の利用権を 持っていた。しかし、室町時代には一般の作人の力が向上し、村人を挙げて山 野の管理をすることになる。勝手に一人で取ってしまうとダメなので、草木を取る日にちを定めることになる。これが入会地で、その管理が重要となる。また、水利の点では番水慣行が導入され、この点でも農民の協力が必要となっていった。惣の発 生につながる。

   手工業原料の栽培(桑、楮、漆、荏胡麻)

B 手工業(日用品主体、特産地形成)

・現金収入源であり、手工業の発達は商業の発達を促す。地方の特産品よりも京都周辺で 栄える。ニーズがあるため。

   金属=鍬、鎌、釜、刀剣

・鍬は備中の砂鉄を原料に備中鍬を作る。
・刀は備前長船、関など。
・釜が普及したことで「炊く」という方法ができる。それまでは鍋で「煮る」が中心で、途中で余分な水をすくいとる湯取り法だった。

   繊維=絹織物、麻織物 cf)酒造(近畿)、紙、陶器

・酒造のメッカは京都で、342軒の醸造元があった。

Q4 どうして京都で酒造が栄えるのか?。

A4 年貢米が集まってくるため、酒造には都合がよかった。

・清酒の起源として、江戸時代の初め、造り酒屋の手代が主人に怒られた腹いせに酒樽に灰を投げ入れたところ、濁り酒の澱が沈み、清酒になったというものがある。この造り酒屋が後に鴻池家になる。これは伝説で、実際には室町の頃には澱を沈めて上澄みを飲む酒が出回っていた。しかし、庶民が飲む安い酒は濁り酒だっただろう。
・紙は鳥の子紙と呼ばれるものが一般で、楮とガンピを原料として薄茶色のもの。越前、和泉、摂津、周防などで漉かれる。
・陶器は鎌倉時代に瀬戸で釉薬をかけて宋の陶磁器を模したものが作られるようになり、室町になると瀬戸天目などの黒釉のものが焼かれる。

C 漁業=網漁(上方)、

・紀州方面で網漁が登場するが、藁製のもの。

     製塩(揚浜式→入浜式の登場)

・塩業では初めは藻塩焼き。それが塩田が作られ、潮汲みが必要な揚浜式から入浜式が登場してくる。江戸時 代にかけて普及し、晴天率の高い瀬戸内などに特産地が形成される。
・吉田の塩田では、海水が満潮の時に桶に溜まる。この横のツボに砂を入れ、朝、塩田に撒く。水分が蒸発して塩の付いた砂をかき集めてツボに入れ、桶の海水 をかけて濃塩水を抽出し、これを煮詰める。ツボの砂は海水を含んでいるので、これをまた撒く。

D 鉱業=鉄、銅、金、硫黄

・鉄は山陰の砂鉄。石見銀山や佐渡金山も開けてくる。硫黄は硫黄島。銅は長門や周防で 産出されていた。

[商業の発達]
A 商業
   市の開設 cf)六斎市、見世棚、振り売り(大原女、 桂女)

・年貢は代銭納が普及してゆき、現地で品物を売って銭に替える必要が生じる。そのため に三斎市では足りなくなって六斎市になる。
常設の見世棚も増える
振り売りは女性が多い。大原女、桂女などで、夫が商品を用 意し、妻が売りに行ったもの。やはり商取引は神聖なものであった。

    座(同業者組合)の発展(本所の貴族・社寺に納税→関銭免除、販売独占)

・もともとは、本所に仕えている雑色人や神人など儀式の時に一定の座席を占める者が、 俸禄が少ないために余暇に営利業に従事し、本所に保護されたことによる。
荘園領主が集めた公事の品物を特権的に受け取り、それを加工して販売す る。荘園領主に対しては座役を納める。

    ex)大山崎油座、北野麹座、祇園綿座

大山 崎油座は、石清水八幡宮の末社である離宮八幡宮に属した神人が、余暇に荏胡麻を絞って売ったもの。仕入れ権と10カ国以上の油製造販売権を 独占した。
・明かりは松のシデから灯明に進歩。京都では灯油の需要が急増し、市場を独占した。
・麹は酒造に欠かせない。米を酒にするにはもとは醸していた。これは口で噛んででんぷんを麦芽糖に変えるということ。こうして発酵させた。醸すのは女性の 仕事で、オカミさんという言葉の語源はカムにあるという。北野天神が麹座を 経営。
祇園綿座の綿は真綿である。蚕2匹で繭を作ったダママユな どは糸にならないため、これを叩いて伸ばして真綿にした。

    cf)市座(納税者のみ市場で商売可)

・販売に際して特権的に座席を占めさせる場合もあり、市座といった。

Q5 座は商業の世界だけでなく、他の業界にも広がる。例えばどんな世界か?。「○○ 座」と称するものに何があるのか?。

A5 芸能界である。劇場には「座」がつく。

大和 四座(金剛、金春、宝生、観世)は興福寺修二会に神事を奉納した猿楽座から発展した能楽の集団である。

B 運輸・交通
Q6 京都に全ての物資が集中。地方都市は未発達で、戦国時代までは出現しない。京都 へは何で運ぶのがよいのか。どんなルートが用いられるのか?。

A6 大量の物資は船で運ぶ。東国からの船は紀伊半島を回ることになるが、ここが海の難所だった。

   海運=廻船(西国→摂津、東国→伊勢、北国→若狭)
   陸運=馬借、車借 ex)小浜・敦賀〜大津・坂本・京〜淀

西国 の物資は摂津に荷揚げし、ここから淀川の水運で京都に運ぶ。東国のものは伊勢湾岸の港に揚げる。桑名、白子などである。
・港から京都までは陸路になる。桑名、白子からは近江経由で京都に入る。伊勢から千草 越、八風越で八日市、近江八幡に運ぶ。近江商人が活躍。山越えをしなくてはならないので重いモノは不向き。関東、東海からの物資は絹や布が主。
日本海側の物資は小浜に荷揚げされて九里半街道で今津に運ぶ。ま たは敦賀に荷揚げをして七里半の陸路で塩津に出す。琵琶湖を使って坂本か大津に運ぶ。
・西日本の物資は水路で淀、伏見経由で京都に来る。

   問 屋の発展(←問丸)

・瀬戸内沿岸には港が開かれ、商品保管の問丸が設置される。問丸は馬借や車借を管理し、運送業を取り仕切る。
・商品は、京都に持ち込めば現地仕入れ値の2倍で売れたという。

C 金融
   貨幣=宋・明銭中心 ex)洪武通宝、永楽通宝

3代 永楽帝の時代の永楽通宝がもっとも流通。ついで初代の洪武通宝。しかし、出土銭の統計を見ると、宋銭15万枚に対して明銭は3万枚で、宋銭 の方がはるかに多く流通していた。明銭は宋銭に比べれば粗悪で嫌われていた。

    cf)私鋳銭の流通(粗悪であり、撰銭され使用)

・もっと悪い私鋳銭も多く作られたため、流通に際しては撰銭がおこなわれる。

    →貨幣経済発展 cf)年貢の銭納、段銭、棟別銭
     ∴土地表示=年貢として納められる銭高で表す(貫高、永高

・土地を表示するにはいろいろな方法がある。領主にとっては、面積が広いか狭いかより も、どれだけの収入を得られるかが大切。貫高は土地に対しての課税高を銭に 換算して土地を表示したもの。

   為替屋=為替の手形(割符)を扱う

・代金の年貢は現金で送るよりも割符(さいふ)で送った方が安全。堺や尼崎の割符屋が 振り出した割符が地方に流通。
・地方にモノを仕入れに行ったときに代金として割符屋の割符で払う。これをもらった者は、年貢の支払いに割符を使う。中央の荘園領主は、割符を持って堺や 尼崎の割符屋に現金を取りに行く。割符が地方から中央に戻ってきて、一種のお金として使われている。

   酒 屋・土倉=高利貸
   頼母子(無尽)=庶民金融

頼母 子(無尽)は庶民がお金を出し合って融通しあったもの。10万円のパソコンが欲しい人の無尽なら、10人が10ヵ月契約で毎月1万円ずつ出 すことにする。10万円使いたい人が名乗り出て持って行ったり、籤で当たった人が持って行ったりする。最初の月で10万円をとれば、結局は10ヵ月払い無 利息の月賦でパソコンが買える。
・最後の人は1万円を10ヵ月積み立てただけなのでつまらない。落札した人はそれから100円ずつ毎月払うことにして、次の人は10万100円を借りられ るようにしておく。次は10万200円となり、最後は10万900円となるので、これを利息として儲けることができる。


目次に戻る   トッ プページに戻る

Copyright(C)2006 Makoto Hattori All Rights Reserved