<貴族社会の文化>
<特色>
【国風文化】
・遣唐使の廃止によってそれまで中国の影響を受けていた日本の文化が、日本独自のもの へと転換をしてゆく。これが国風文化である。

【平安末期文化】

・文化の国風化は都でまず起きた。平安末期には地方で武士が勃興し、彼らが都の文化を 受容して地方でも国風文化が展開する。

<宗教史>
【国 風文化】
A 密教・加持祈祷の流行

・顕教はいよいよ廃れ、マジカルなものがもてはやされる。病気治しなどに山伏が広範に 活動するようになる。

B 神仏習合の定着
 本地垂迹説=仏が本地、神が垂迹

・8世紀には、神は仏によって解脱に導かれるものとされた。8世紀後半になると、神は 仏によって菩薩になった存在とされ、10世紀には、仏が姿を変えたものが神 であると考えられるようになり、本地垂迹説が成立した。
・太陽の神である天照大神は、大日如来が姿を変えたものと説明される。いずれにしても仏よりは下である。
・寺院守護の目的で鎮守が置かれる。興福寺=春日大社、延暦寺=日吉山王社などの関係。仏は慈悲で衆生を救い、神は神罰を下して悪者を懲らしめる。

 →両部神道

・この考え方は、後に両部神道になる。真言宗で両部曼陀羅によって日本の神を説明したもの。 曼陀羅に描かれているのは仏だから、これと神を一体化したのである。

C 浄 土教の成立
 来世の幸福(極楽往生)を願う

仏教 の国風化ということで大切なのは浄土教の考えが成立したことである。この世の中に夢も希望もなくなって、この考えが出てきた。死後に赴く極 楽を理想郷と考え、死んで極楽にゆけるなら、これを楽しみなこととして極楽 往生を願うものである。苦であったはずの死を待望するものに転換しているところがすごい。


   旧仏教の世俗化
   中小貴族の没落(現世に望みなし)
   末法思想の流行(釈迦入滅2000年後に到来)=乱世  cf)1052年末法元年

正法は 釈迦入滅後500年または1000年。この間は釈迦の教えが守られる。像法は 正法の後の1000年で、正法は廃れるが造寺造仏はされる。その後は1万年間、末法が続く。教えが忘れられてしまい、ひどく荒れた世の中である。
・日本では正像はそれぞれ1000年と考え、釈迦入滅を紀元前949年とした(実際には、釈迦は紀元前300年後半から400年後半ぐらいの人)。そのた め、1052年に末法になるとした。だから平等院は1053 年に建てられている。

Q1 末法になってしまえば、現世利益を求める宗教はどうなるのか?

A1 求めても救われない。密教は期待に応えられない。仏教は輪廻を説き、生まれ変わりを信じているので、現世ではなく、来世の救いを説くようになる。

Q2 極楽に行くにはどうすればよいのか?

A2 極楽にいる阿弥陀仏にすがるのである。

 1 阿 弥陀仏にすがり、念仏の意義説く

・阿弥陀如来は「無限の世界、永遠の命」を司る仏である。すべての人の救済という誓い を立てた仏なので、これにすがれば極楽に導いてくれるはず。

   空 也=市聖、念仏の民間布教

空也は 948年に延暦寺に登り、後に京都に西光寺、六波羅蜜寺を建てる。金鼓を叩いて念仏を広めながら、井戸を掘ったり橋を架けたりという活動をした。民間布教 をしたので市聖と称された。
・六波羅蜜寺にある空也像は、念仏を唱えるとその言葉が阿弥陀になったという話を表している。可愛がっていた鹿が死んだので、その角を杖にしている。

Q3 念仏とは何か?

A3 仏の名を唱えることであるが、この場合は「阿弥陀如来」である。「南 無阿弥陀仏」の六字で、「南無」は「帰依する」という意味であり、キリスト教の「アーメン」にあたる。

   慶滋保胤=「日本往生極楽記」

慶滋 保胤はもとは儒学者。出家して比叡山に入る。「日本往生極楽 記」は聖徳太子、行基など45人の往生者の伝記。どうすれば極楽往生ができたのか、極楽でどう住んでいるのかを記しており、極楽へのあこが れを誘う本である。

   源信「往生要集」

源信= 13歳で出家して比叡山に入る。44歳で「往生要集」を著す。3巻、10章。「厭離穢土」「欣求浄土」「極楽の証拠」「正修念仏」などで極楽への行き方を 記した。
「往生要集」では、極楽に行くための臨終の床の場面が記さ れる。西側に阿弥陀像を掛け、ここから糸を出して手に握り、僧が念仏を唱える。楽人が極楽の音楽を奏でる。死線をさまようと脳が酸欠となって幻覚を見る。 ここで臨死体験をすることになるので、阿弥陀が迎えに来る幻覚を誘導してやる。
・阿弥陀堂の中で極楽を目の当たりにして念仏を唱えることで極楽往生できる。これは安らかに死ぬためのテクニックである。

Q4 末期ガン患者に同じようなことがやられていないか? 何というのか?

A4 終末期医療。ホスピスと考えられる。安らかに死を迎える技術としては、昔の人の方が優れていたのかもしれない。

 2 阿 弥陀堂の建立
  宇治平等院(頼通)、法成寺(道長)

阿弥 陀堂は死に場所として建てたもの。阿弥陀堂の多くは敷地の西側に建て、東から西方極楽浄土にいる阿弥陀如来を拝む形をとる。
平等院鳳凰堂は、頼通が60歳を迎えた翌年、道長にもらっ た宇治の別荘を寺として建てた。池に面して西側に建てられ、西方極楽浄土を拝む形になる。極楽に飛ぶ鳳凰をあしらう。全体の形も鳳凰の形。
・内陣内には雲中供養菩薩が飛び、音楽を奏でる。

   cf)御霊信仰

・この世に恨みを残して死んだものは祟る。疫病をもたらす牛頭天王=祇園や、落雷をも たらす天神=北野天神を祀る。

     陰陽道→物忌み、方違え

陰陽 道は暦の信仰で中国から入る。暦は日読みで、日月5惑星の動きを示したものである。これらは陰陽五行と称する。

Q5 陰陽五行は今の生活の中に入っている。何か?

A5 七曜や六輝である。

・陰陽道では、陰陽2種の気によって天地間の事柄が生じ、五行の動きによって世の中の 吉凶が決まるとした。毎日位置が変わるので、毎日吉凶が変わってくる。
・六輝は六曜ともいい、大安、仏滅、友引、赤口、先勝、先負。時間によって吉凶が変わ るというもの。

【平安 末期文化】
 浄土教の地方伝播
  cf)中尊寺金色堂(平泉、奥州藤原氏)、富貴寺阿弥陀 堂(大分)、白水阿弥陀堂(福島)

中尊 寺は奥州藤原氏がその本拠地である平泉に建てたもの。金色堂は屋根まで漆を塗って金箔を押している。清衡の建立。3代の遺体が3つの須弥檀 下に納められているので葬堂であるとされている。3つの壇ともに阿弥陀三尊を祀る。金銀螺鈿で装飾されている。
・清衡〜秀衡までの3代の遺体がミイラ化していた。基衡のミイラは身長167僂如当時としては大柄。血液型もわかる。泰衡のものと考えられる首も出る。
富貴寺大堂(阿弥陀堂)は大分県豊後高田市。
白水阿弥陀堂はいわき市。秀衡の妹が建てたもの。

<美術史>
【国風文化】

 仏像彫刻(寄木造)
  阿弥陀如来像(平等院鳳凰堂)定朝

平等 院鳳凰堂阿弥陀如来は2m79cmの大きなもの。唐風ではなく和様の仏像として画期的なもの。純日本風のもので最大傑作はと聞かれるとこれ が挙げられる。
寄木造の分業によって作られたもの。一木で作るには材料が なくなっていた。阿弥陀仏が貴族の手によってたくさん作られ、需要に応じるには分業が必要。
・寄木造は一木造りのように狂わないというメリットもある。その代わり、継ぎ目の部分が空いてくる。ここはトノコなどで埋める。

 絵画
  聖衆来迎図(高野山)

・聖衆来迎図は阿弥陀如来が25人の菩薩を連れて西方極楽浄土から迎えにくる様を描い ている。死に際して掛けられたもの。
・山越の阿弥陀は山の向こうに阿弥陀が見えるというもの。

Q6 この山はどの方角か?。この阿弥陀は何に比べられるのか?

A6 阿弥陀がいるので西である。阿弥陀は太陽である。

Q7 沈む太陽とすれば、真西に沈むのはいつか?

A7 彼岸である。ここから、彼岸の夕陽に阿弥陀仏が見えるという考えが出てくる。どうして彼岸に墓参りをするのかがわかるだろう。この日は極楽への道が 開けるのである。

・このあたりでは、かつてはオテント迎えの行事があり、本来は太陽にしたがって東に行 き、西に行って沈む太陽を拝んだ。

 書道(和様)
  三 蹟=小野道風、藤原佐理、藤原行成

・小野道風は春日井の生まれという。柳に飛びつく蛙を見て頑張ろうと思ったとか。

【平安 末期文化】
 絵画
  大和絵→絵巻物の発達

・順に広げてみてゆくもの。詞書きと絵が交互に出てくる。四大絵巻が成立する。

   ex)源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣戯画、伴大納言絵詞

源氏 物語絵巻はもともと何巻あったかはわからない。現在は56面が残っていて、徳川美術館と五島美術館に分蔵されている。徳川のものは巻数も多 い。吹抜屋台、引目鈎鼻。わざとぼんやりした顔にすること で、見る者に感情移入をさせる。能面と同じ理屈。秋に一週間ぐらい公開される。わざわざ、これに合わせて新幹線で見に来る人もいるぐらい。実物を見ると意 外に小さく、彩色も落ちていてガッカリする。
信貴山縁起絵巻は信貴山にいた修行僧・命蓮の物語。鉢を飛 ばして托鉢をする。山崎長者はそれまでは食べ物を入れてやっていたが、面倒になって蔵の中に閉じこめた。鉢は蔵を持ち上げて飛び去ろうとする。蔵を持って 行かれた山崎長者は命蓮に泣きつく。米だけ返すことになり、一つを鉢にのせるとそれに続いて残りの米が列をなして飛んでいった。庶民の風俗が描かれていて 資料的価値が高い。
鳥獣戯画はサルが僧になって蛙の本尊を拝んだりしている。 僧侶の生活を風刺したものか。詞書きがなくて絵だけのもの。
伴大納言絵詞は応天門の変を描く。異時同図法がよくわか る。
平家納経は装飾経として優秀。本来、写経は白紙に墨書する ものだったが、これに装飾を施すようになる。33巻。平清盛が一門の繁栄を祈って厳島神社に納めたもの。
扇面古写経は10帖。四天王寺など。浄土信仰に基づいて貴 族社会で作られたもの。下絵は経文とは関係なく描かれている。庶民生活や伊勢物語などに題材をとっている。

 仮名 文学の発達(女性の活躍)

Q8 どうして文学のジャンルで女性が活躍できたのか? 

A8 仮名は女手とされ、男が使うのは恥だった。男は漢文である。しかし、仮名の方が日本語を的確に伝えられる。


 和歌
  「古今和歌集」、以後八代集、六歌仙の活躍
 物語文学
  「源氏物語」「竹取物語」「伊勢物語」
 日記、随筆
  「枕草子」「土佐日記」「蜻蛉日記」「更級日記」
 歴史文学
  「栄花物語」「大鏡」
 戦記物語
  「将門記」「陸奥話記」
 説話文学
  「今昔物語」
 歌謡芸能(催馬楽、今様)
  「梁 塵秘抄」(後白河法皇)

・後白河法皇は今様が好きで、その集大成をおこなっている。七五調4句の歌謡。

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