<律令体制の動揺>
[班田農民の貧窮]

 過重な負担 cf)貧窮問答歌(山上憶良)

・政争に明け暮れたり無駄遣いをしているうちに、公民の疲弊は進んだ。
・庸・調・雑徭・兵役の負担が厳しい。貧窮問答歌によれば、 「柱が腐り、傾いた竪穴住居で、ボロをまとって暮らしている。子供は泣くが、鍋にはクモの巣が張っている。税をとりに里長がムチを持ってくる」とある。

Q1 負担を強いられて納められない農民はどうするだろうか。

A1 一揆を起こすようなのは力がついてからである。それまではひたすら負担から逃れるために逃亡することになる。

 ∴浮浪、逃亡

・726年、山城国出雲郷のある戸では、41人のうち21人がいなくなっていた。郷全 体では5分の1がいない。
・逃げた場合、個人の場合は6年間、一戸全部の場合は3年間、五保という隣組に追跡させ、見つかれば本貫地に送り返していた。その間は五保と親戚に税を負 担させる。これで見つかった者は本籍地から離れている者ということで浮浪と いう。見つからなかった行方不明者を逃亡という。
・浮浪人が本貫地に戻らないため、715年、本貫地の他、浮浪先でも税を徴収することにし、本貫地に戻そうとした。浮浪先では口分田はもらえないので厳し い。

Q2 税負担は男女のどちらが重かったか? それに目をつけて税負担を免れる方法はな いか?

A2 正丁男子に過大な税制であり、女子は田がもらえて庸役がないのでラクだった。女子と偽れば税負担がラクになる。

・常陸国のある戸の戸籍では、90人中79人が女子であった。残り11人も税負担のな い老人ばかりである。偽籍がおこなわれていたのは間違いな い。

 偽籍、

Q3 税負担のない者もいた。誰か?

A3 国家仏教の時代では国家と国王の安泰を祈るものとして僧侶は重要だった。戸籍から除かれて租税が免除されていた。

・正式には10年修行し、法華経8巻を暗誦しないと僧になれない。これが正式な僧侶で 官度という。

 私度僧の増加

・宗教の名を借りて私度僧となり、税を逃れる者が登場。「日本霊異記」には浮浪人狩りの実 施が記されている。仏教の修行者を浮浪人と断じてむち打った役人が、馬から下りられなくなり宙に浮き、空から落馬して死ぬ話である。僧形の浮浪人が多かっ たことを示している。

 口 分田荒廃、庸調の滞納、粗悪化=国家財政圧迫

[土地公有制の動揺]
 口分田の荒廃→田の不足、班田停滞

・人口が増えたことで口分田は慢性的に不足。浮浪・逃亡によって口分田の荒廃も進んで いた。浜名郡では、880町のうち、127町が荒廃(17%)していたという。

 cf)百万町歩開墾計画(722)

・庸・調を確保するため、生活基盤である田は農民に保証しないといけない。荒れた土地 は元通りにし、新たな開墾も必要。道具や食料を支給し、10日間開墾させる計画を出した。100万町歩を新たに開くのは実現不可能な数字だが、荒廃したも のを元に戻すのであれば可能。

Q4 この政策に農民はどのような反応を示すと思うか?

A4 負担過大な農民は動かなかった。

Q5 どうすれば新たな田を確保できるのか?

A5 租が低率であるため、田を持てば持つほど生活は楽になる。開墾地を口分田として所有できれば開墾するであろう。


1 三 世一身法(723)
 墾田の期限付私有認め、開墾奨励
  新しい用水の築造=3代私有
  古い用水の復旧=1代私有

開墾 奨励のために墾田は一定期間、私有を認めることにした。この結果、地方豪族層の開墾熱が高まった。ため池や用水の築造は豪族でないと不可能 である。行基の活動もこの中で地方豪族に受け入れられることになる。

Q6 三世一身法の問題は何か?

A6 期限が来ると収公されるため、耕さなくなってしまう。

 but収公近づくと再度荒廃

・20年経つと収公時期がくる。田を維持するには用水管理や畦の修復などが必要だが、 この設備投資をしなくなって荒れるのである。

Q7 対処法は何か?

A7 永久に私有を認めるしかない。

2 墾 田永年私財法(743)
 墾田の永久私有認可→有力貴族、大寺社の開墾進む

・位によって面積制限を付けて開墾地の私有を認めることにした。一位の者は500町ま でよい。庶民でも10町以下の開墾が可能とする。
・この時、将来の開墾に備えて土地の囲い込みが発生した。749年、寺院は開墾予定地を占有することが認められ、東大寺は4000町の土地を囲い込んでい る。未開発地の残る北陸に進出し、開発資金を出して開墾して持ち主になっている。

Q8 東大寺などが広大な土地を開くため、実際の開墾事業に当たったのはどういう者 か?

A8 浮浪・逃亡者を使ったのである。彼らは開墾地に逃げ込めば食べられるため、浮浪・逃亡を助長することにもなる。


 cf)浮浪人、奴婢の使用、鉄製農具利用
※土地公有原則(律令制の基盤)の崩壊

[初期荘園の成立](8〜9世紀)
 有力貴族、大寺社による墾田地系荘園

・大規模な開墾は有力貴族や大寺社しかできない。墾田を荘園とする初期荘園が成立する。

 cf)自墾地系荘園、既墾地系荘園(買収による)

・初期荘園には自分で開いた土地を荘園にする自墾地系荘園と、私出挙を通じ、返せない 公民の田を自分のものにして集めた既墾地系荘園とがある。

 開墾地の管理=荘(倉庫+事務所)の設置 ∴私有地=荘園

Q9 初期荘園は新開地である。もともとはそこに住む農民はいない。浮浪人、奴婢を使 うしかない。浮浪人、奴婢は自前であり、その土地に住まわせることもできた。これだけでは数が足りない。耕した者はどういう者か?

A9 周辺の公民集団を使った。こっちの方が数は多かったはず。

 公民による賃租、浮浪人と奴婢による経営(少額の租のみ納付、残りを収益)

周辺 の公民集団に対し賃租の形態をとって耕させた。収穫の5分の1をとって小作させたのである。租より高率であるが、それでも儲かる数字であ る。近世の小作料は収穫の2分の1であった。この管理は地方の有力者である 郡司が請け負った。彼らはその他の土地から徴税をしているので、そのついでということになる。儲けは郡司と領主で分ける。

 →口分田を囲い込んで大規模化(公民の浮浪を助長)

・一カ所に荘園ができると、困窮した周辺の農民たちがそこに逃げ込む。彼らのもらった 口分田は荒れてゆくが、荒れた土地は新たに開けば荘園とすることができる。このため、荘園は公民の浮浪を助長しながら拡大してゆく。

 but律 令制衰退の中で荒廃

初期 荘園は、公民と郡司を使った間接支配である。この点で、律令制の組織を使った経営だった。したがって、律令制が崩れてゆくと、だんだんとう まくいかなくなる。
・10世紀になると、奴婢や浮浪人は数が足りなくなり、新たな開墾が難しくなった。また、郡司も言うことを聞かなくなったり、没落して農民を仕切れなく なったりする。荘園を増やしたくない国家による圧迫もあった。この中で、荒廃したり、賃租していた農民に乗っ取られたりしてゆく。
・荘園を維持するには、自前の管理人を置き、土地を取りに来る者には武力で対抗し、農民をその土地に縛り付けておく権力を持っていることが必要であり、そ のような荘園は次の時代になって登場する。


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