<国土統
一と氏姓制度>
#1[中
期古墳の築造](5C)
#2[地
方豪族の統制と中国権威の利用]
#3
A 九州〜東国の統制
#4
B 讃・珍・済・興・武(倭の五王)の中国南朝遣使
#5[大
和政権の構造]
#6
A 豪族の社会組織=氏
#7
B 大王・豪族間の秩序=姓
#8
C 政治・社会組織
#9
D 地方豪族の大和の体制への編入
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<国土統一と氏姓制度>
[中期古墳の築造]
(5C)
平野に展 開、巨大化、前方後円墳
Q1 中期の古墳は平野
に展開し、急速に巨大化している。仁徳陵は486mで箸墓は
276m。このことは、埋められている王の性格が変わったことを物語っている。どのような変化が見られたのか?
A1 前期に比べて権力を拡大しているのである。それは王の地位が世襲されるようになったことを物語り、司祭者ではなく、武力を
背景とした権力者になった ことを示している。
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ex)大仙陵古墳(仁徳陵)、誉田山古墳(応神陵)
・古墳は江戸時代、天皇の墓であるとして、それぞれ誰が埋められているのかを
比定して
いった。これは推測であてはめていったため、そこに埋められている人がその名のとおり正しいとは限らない。仁徳陵と言われるものも、仁徳天皇
の生きた時期
よりは新しいものとされている。本当に仁徳天皇が埋葬されているかはどうかはわからないため、現在では比定前の地元での呼び名を使い、大仙陵古墳と呼んでいる。
・巨大古墳を作るには莫大な労力が必要である。大仙陵古墳を今作るとどのくらいの費用がかかるか、大林組が試算をしている。周囲2.7キロ、
一周40分も
かかる巨大古墳であり、総面積は48万平方メートル、野球場の10倍もある。使用した埴輪3万本。ブルドーザーやダンプを使用した現代工法な
ら工期2年
3ヶ月、費用は24億2400万円。古代工法ならのべ680万人、一日2000人動員、工期13〜18年、562億2800万円がかかるとさ
れている。
Q2 巨大古墳は大量の
人間を動員して作った。彼らは喜んで働いたとされるが、それは なぜか?
A2 平野に作られた古墳は、土盛りのために穴を掘る必要がある。ここに水が溜まればため池として利用できる。古墳を作ることに
より、その周囲が田として 使えるのである。したがって、古墳築造は新田開発事業の一環としておこなわれたと見るべきであろう。
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竪穴 式石室、形象埴輪の出現
・この時代になると形象埴輪が
出ている。この起源は神話に語られている。垂仁天皇の時、弟が死んだため、仕えていた者を生き埋めにした。ところが、昼夜うめき泣きが聞こ
え、死ぬと犬や
カラスが食べてむごたらしかった。このため、以後は殉死はやめろと命じ、替わりに野見宿祢が土で埴輪を作って埋めたものという。
・実際にたくさんの人を殉死させた遺跡は日本では出ていない。中国では一般的で、殷の武官大墓では、主人の他に79体の遺体が一緒に埋められ
ていた。ま
た、他に長さ2メートル、幅1メートルの穴が無数にあり、縄で縛って頭や手足を切り取った遺体が10体前後埋められていて、その数は全部で
1330体に 上っている。
・形象埴輪で最初に登場したのは家型とニワトリである。これは魂が宿る場所と魂を運ぶ動物を作ったものとされている。この後、武器の埴輪が登
場し、これは 霊を守るものと解釈されている。人や動物は遅れて登場し、葬儀の様子を再現するものであった。
副葬品=馬具、武具→支配者の権力者的性格
・副葬品では武具や馬具が登場している。3世紀後半の椿井大塚山では鏡が32枚も出
たが、甲冑は1組、刀剣は20口だけだった。一方、5世紀の墓山古墳(古市古墳群)では甲冑11組、刀剣170口が出土し、武具のウェイトが
大きくなって いる。
Q3 中期には、古墳
は地方でも作られるようになった。これは何を意味するのか?
A3 古墳を作る大和の文化が広まったのであるから、大和政権の力が地方に拡大したことを意味している。
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※地方への波及=大和政権の
勢力拡大
・宮崎の西都原古墳群、埼玉の埼玉(さきたま)古墳群などが5世紀に作られて
いる。岡 山県の造山古墳は全長360mあり、全国4位の規模を持っている。
[地方豪族の統制
と中国権威の 利用]
A 九州〜東国の統制
ワカタケル大王(雄略)銘遺物→地方に協力者
の存在
・5世紀に大和政権が地方に勢力を拡大したことは、古墳から出る遺物でも裏付
けられ る。当時の大和政権の権力者である「ワカタケル大王」、
すな わち雄略天皇の名を記した遺物が各地から
出てい るのである。
・雄略は漢風諡号であり、死後に贈られた名である。「天皇」呼称は飛鳥浄御原令で規定されたものなので、それ以前の天皇の漢風諡号はこの時に
一括して贈ら
れている。それまでは○○天皇とはいわず、「○○大王」と呼ばれていたらしい。この場合、住んでいた場所と名で呼ばれる。雄略は「大泊瀬幼
武」と呼ばれて いた。大泊瀬は住んでいた場所、「幼武」が名である。
稲荷 山古墳出土鉄剣(471年、埼玉)
・1968年、埼玉古墳群の一つ、稲荷山古墳で
鉄剣が出土した。そのままガラスケースに入れられていたが、錆が着くため、1978年、元興寺文化財研究所に持ち込まれて保存処理されること
になった。長
さ73�僉�幅3�僂曚匹療瓩任△辰燭�、錆の中に金が出たため、レントゲンにかけたところ、文字が浮かんできた。銘文は「辛亥の年に記す。ワカタケル大王の時に天下を治めることを助けた。その記
念にこの鉄剣を 作る」というものであった。
・年号や人名のある遺物は歴史を再現する上で決め手になる。辛亥年はいつかと見ると、411、471、531年のいずれかになる。ワカタケル
の在位は 456〜479年であるので、辛亥年は471年と
なる。
江田 船山古墳出土太刀(熊本)
・熊本にも雄略の名を刻んだ太刀が出土している。1873年、江田村の池田佐
十さんが
持ち山を掘って宝物を見つける夢を見た。実際に掘ったら鉄刀(太刀)が出てきたという。これは人名7文字中3文字が解読できず、一応、銘文を「タジヒ
ノミヤミヅハ 大王の時に仕えていた者が作った」と読み、反正天皇の時代のものとしていた。しかし、埼玉の発見により、これも「ワカタケル」と読むことに訂正された。
Q4 ワカタケルの名を
記した遺物が埼玉と熊本で出るということは、何を意味するか?
A4 ワカタケルの力がこの範囲に及んでいたことを意味している。
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B 讃・珍・済・興・武(倭の五王)の中国南朝遣使
・「宋 書」「南斉書」「梁書」によれば、讃珍済興 武が 413〜502年に13回遣使をしている。これを倭の五王と いう。
・天皇では誰にあたるのか。史書では誰が誰の弟で息子かということが記されているので、これと「古事記」に出てくる天皇の系譜関係を付き合わ
せることにな
る。記紀と中国史書では父子兄弟関係が異なるため、一部に確定できないところ出てくるが、讃は応神か仁徳または履中天皇。珍は仁徳か反正天
皇。済は允恭天 皇。興は安康天皇。武は雄略天皇となる。
・ここで天皇呼称を用いるのは便宜的なものである。当時の倭の王はオオキミと称され、「天皇」とは呼んでいなかった。「○○天皇」と称するの
は天皇制が確
立してくる7世紀頃からであり、彼らをその時の天皇の祖先と考えて名を贈ったのである。だから、倭の五王が後の天皇と血がつながっているかど
うかは疑問な のである。
Q5 倭の王が中国に使
いを送った目的は何だと思うか?
A5 日本は404年に高句麗と戦って撃退されている。半島に鉄資源を求めていた日本にとっては手痛い敗戦であった。したがっ
て、中国から半島で軍事力を行使することのお墨 付きを得ようとしたのである。
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「宋書倭国伝」、武(雄
略)の上表 文(478)
・一番経緯がはっきりしているのは武の遣使である。これは「幼武」の「タケ」
を漢字に あて、倭王が中国式に「武」と称した
ものとされ る。これは、 漢字の意を理解していた証拠でもある。中国の宋には477年と478年に使いを送っている。
・彼は七国の軍事権と安東大将軍の称号を欲しがっている。七国は倭、百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓を指している。このうち、新羅は影響
力なく、任那
と加羅は同じである。秦韓、慕韓はこの時には実在していない。と見ると、意味があるのは百済と加羅だということが分かる。日本は百済と朝鮮半島南部との関係を確保したかったと言える。
→六国諸軍事・安東大将軍・倭王=伽耶との関係、国内支配を確保
・中国は百済を除いた六国の軍事権を与えてくれた。百済を除いたのは、ここは
別途使い を送っており、自国の軍事権を確保していたからである。
・当時は各国が中国に使いを送り、同じような軍事に関わる称号を得ている。高句麗は車騎大将軍、百済は高句麗の4つ下の鎮東大将軍をもらって
いる。これに 対し、倭は百済の2つ下の安東大将軍を
もらった に過ぎない。
[大和政権の構造]
氏姓制度・部民制度
A 豪族の社会組織=氏
同一祖先を持つ者の集団(氏神の祭り)
・この頃、大和政権は政治の仕組みを整えていったらしい。これは氏姓制度と言われている。大昔の人々は、一族で集まって
住んでいたとい
う。近くの人同士で結婚すれば、一つのムラの中は親戚ばかりになる。現在でも、山奥のムラなどは、一ムラみんなが同じ苗字をもっていたりする
ことがある。
・こういう社会を氏族社会という。そして、その中の長老なり実力者なりが氏族社会のリーダーになってゆくはずである。ここでは豪族という名で示しておく。この親戚集団のことを氏という。氏は血縁者を中心とする一族のことであり、そ
のリーダーが氏上である。こういう豪族は、もと
もとの小国の主である。
・氏には、職業名を冠したものと地域名を冠したものがある。
氏上 =氏人の統率、部民の支配→部曲による田荘の耕作
・同じ親戚集団であっても、氏上と血縁関係が近い人もいれば遠い人もいる。近
い人は氏 上の側近であって氏人という。
・その他の一般的な人たちは部民という。部とい
うのは支配す る人民の総称である。この部民のうち、豪族が支配しているものを部 曲と
いう。別名をウジヤツコともいうが、「ヤツコ」は奴=「家の子」の意で、族長に隷属する人を指している。ウジヤツコは氏に仕える人だから私有
民である。
B 大王・豪族間の秩序=姓
連合の証として階級を与える
・大和政権を作った豪族の族長は、他の豪族を従えるようになり、これは大王と
称される ようになった。大王は手を結んだ連中に政権内での役割分担をしていった。この時、服属の証として姓を与えた。これは服属した豪族の階級を示している。
畿内有力豪族=臣(葛城、平群、蘇我)
・臣は
南大和盆地の豪族に与えられた姓で、本来は大和政権を作った大王と覇を競っていた。それがまた、大王の娘を妻にしたりして連合し、政治協力者
となったもの である。これは、いつ裏切るかわからない反逆性を持っている。
・臣をもらったのはいずれも地域名を冠した氏であり、もともとはその地域の支配者であった。平群、葛城、蘇我などがこれにあたる。
大王の家臣の豪族=連(物部、大伴、中臣)
・連は
大阪平野に地盤を持つ豪族に与えられている。これらは早くから大和政権を作った豪族のリーダーに仕え、服属度が高い忠実な部下であり、職業名
を冠した氏に 多い。
・物部は献上されたモノの管理者であり、武器や
祭器を管理し ていた。政権内では軍事や祭祀で仕事を分担していた。
・大伴は地方から出仕するトモ(人)の管理者で
ある。王宮守 護人の管理を通じ、軍事で政権に奉仕していた。
・中臣は人と神の仲立ちをする者の意味で、神事
を担当してい た。
C 政治・社会組織
大王を大臣、大連が補佐
・大和政権は大王を中心に豪族が連合した政権であった。臣の代表の大臣、連の代表の大連が補佐をした。
屯倉(政権直轄地)を田部(直轄民)が耕作
・政権の直轄地を屯倉と呼ぶ。これはヤケ(宅=政庁)、クラ(倉=正倉)、タ(田)から
なるもので、6世紀以前に畿内に設置されている。
・政権の力で新たに開いた土地が屯倉となっている。河内の茨田(まんだ)屯倉は淀川の治水工事で開いたもので、渡来人の技術と鉄器によって低
湿地を耕地化 したものである。
豪族を伴 造に任ずる→品部を
率い特定 職業で奉仕(渡来 人の増加で充実)
・政権内で仕事を分担した者を伴造という。これは役職名である。造はミヤツコと読み、「宮の子」の意
味になる。トモ(人=王権の従者で品部を指す)を率いて奉仕をする者を指す。
・伴造は配下の部民を率いて仕事をする。この部民を品部と
い い、それぞれに職業名がつけられている。
ex)玉作部、土師部(土師器)、陶部(須恵器)
・膳部(料理)・服部(衣服の製造)・舎人部(天皇の護衛)・佐伯部(宮殿の
護衛)・ 犬養部(猟犬の飼育)・史部(文書・記録の作成)・掃部(宮殿の清掃)などである。
D 地方豪族の大和の体制への編入
抗争・連合→協力者に姓与える
協力度の高い者=直
協力度の低い者=君(筑紫、毛野)
・地方の豪族は徐々に服属したものと思われ、服属すれば身分と土地・人民支配
を保証さ れた。服属の証として与えられた姓は、早くから服属した者には直、服属度の低い要注意人物には君を与えている。
→国造に任じ地方支配認める、土地や部民貢納義務づけ
・国造は
地方豪族の役職名で、クニのミヤツコだから国を治めて王権に属する者の意味になる。全国には100以上の国造が置かれており、この国は、後の
律令時代の国 よりもはるかに小さく、もとの小国のエリア、郡くらいの広さになる。大化改新後は評造となり、後には郡司になる勢力であった。
cf)子代・名代
・国造は国の支配と政権への奉仕義務があった。子弟を中央に出仕させること、
地方産物
を貢納すること、国造軍を率いて警備に参加するなどがそれである。子代と名代は、地方豪族が大和政権に対して奉仕をさせるために設定した者で
ある。
・子代は実体が不明で、王族を養うための人では
ないかとい う。皇子のために奉仕する部であり、皇子名が付けられている。
・名代は5世紀以降、地方豪族の人民を割いて設
定しており、
その時の王族の名を取っている。しかし、特定者に隷属するものではなかったようであり、中央に出仕して舎人部や膳部になっている。
・地方の豪族の服属が進むと、屯倉も地方に拡大していった。大和政権は田令(タツカイ)を派遣し、周辺の人を田部として徴発して土地を開き、
農地の耕作に あたらせた。
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